統合失調症の症状への対応、抗精神病薬の副作用、精神科医との信頼関係、患者との関係性……。患者を支える家族の悩みは深く長期間に及びます。このブログは、妻の医療保護入院による夫の感情体験を書籍化後、支える家族にとっての精神疾患について、感じること考えることをテーマに更新しています。
著書 統合失調症 愛と憎しみの向こう側
患者家族の感情的混乱について書き下ろした本です(パソコン、スマートフォンなどで読むことのできる電子書籍)ブログ〝知情意〟は、この本に描いた体験を土台に更新されています
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統合失調症の症状に試される家族たち


統合失調症の症状。
それは経過と共にとても多彩であって、一様に説明をつけられるようなものでもない。
勿論、他のどんな疾患であっても他人の回復具合や処方薬を気にしてみたところで仕方のないことだが、疾病によってはある程度の参考にはなると思う。
ところが、統合失調症は患者によって呈する症状も違えば経過具合もまちまちで個別性が非常に高く、服薬している抗精神病薬など、治療全般についてのことを他患者のケースや前例を持ち出してきて評価することに意味はないだろう。


そしてこの病気は、他疾患のように当事者の切実さが他者にはわかりづらい側面もある。
例えば、痛みという感覚は誰もが持ち合わせているものなので、それが他者の病的な激痛であったとしても自分なりに推し測った解釈を得ることができる。
しかし、時に奇異的でもある統合失調症の症状は、実生活ではなかなか経験できるものでもなく、それが他者の病的な症状となると余計に理解し難い事象となるはずだからだ。

独笑、独語に対して、経験したことのない困惑に陥る家族。
支離滅裂の会話と解体した行動に家族は悲しみと絶望にうちひしがれ、その心配をよそに患者からの敵対心に困窮する家族。
目には見えない誰かと熱心に話し出す患者への戸惑い。
……
それは多分、そのことに関係していない他者にとっては理解したくとも解りづらいものであると同時に、統合失調症の特徴的な症状を長い期間持ち続けることになる患者への偏見と、それに関係する家族の悩みに孤立感を与えてしまう要因であるのかもしれない。

ただ、どんなに切実な状況に追い込まれたとしても、どれくらいでどうなるといった見通しが立つのなら、気持の持ちようは少し違ってくる。
だから、そのことについて明快で断定的な説明が付けられたなら、希望と諦めを使い分けながらでも少しは楽になれるはずだ。
例えば、
一見して同じように幻聴に耳を澄まし、時に支離滅裂の言動を露呈する人が居たとして、代表的な非定型抗精神病薬を同じように飲み始めたとする。
でも、数か月ですっきりと症状が緩和され、閉鎖病棟から開放病棟、試験外泊から退院への過程を進む人もいれば、薬が効かぬまま保護室を出たり入ったりする人だって確かに存在している。
これからどうなっていくのかがわからない。
それは、人の心をとても疲れさせるものだと思う。
予後をある程度見積もることができたならばどれほど安心できるだろうか……

妻の閉鎖病棟入院中、主治医からの病状説明の時によく聞いた言葉があった。
「――良くなるか悪くなるかなんて、わかりません……」
その言葉を受け入れなければならないと苦しむ自分と、あらんかぎりの気持ちで言葉に抵抗する自分。

人は、安心を得られないことも悲観を得られないことも、どちらにしてもとても辛いものだと思う。
悲観を得られないと言うのもなんだかおかしな言い方だが、ある意味、悪いなりの展開が確定しまったことによって、開き直ったような奮起に繋がることもあるかもしれない。
と同時に、諦めるという行為は、気持ちを次へと向かわせる行為の起点でもあるのなら、それもまた、葛藤の中で封じ込められた苦しみから脱するという意味では楽になることでもある。


何か月経っても、閉鎖病棟から一歩も出られない妻への面会の為にと病院を訪れた時の話。
病院のロビーですれ違った、退院患者とその家族。
えっ? あの人は、妻と同じ頃に入院したはずの人……
確かに弱弱しい素振りながらに、家族に寄り添われながら穏やかな表情を見せている。
おめでとう、でも……
明暗という言葉の意味を強く感じながら、妻の過ごす閉鎖病棟へと向かう僕の足取りはただただ重い。

統合失調症の急性期は、陽性症状が活発でも、薬物療法によって概ね三か月程度で落ち着き……などといった、よく聞かれる解説にふれるたび、そうではない自分達のケースがとても不安でたまらなくなった。

妻は本当に統合失調症なのか?
朝、昼、夕、眠前、こんなに沢山の薬を毎日毎日飲んでいるのに効果がないのは何故なんだ?
根気よく待ちなさい?
入院治療はそんなに不確かなものなのか?
誤診ではないのか?
ならば、薬の処方を含めた治療方法に根本的な間違いがあるのではないか?

自分の願いの通りに回復しない妻。
増長する不安が医師に対する不信へと変貌してしまう僕は、ついつい自分の不安を主治医へぶつけるのだが、主治医の方からは病名が何かとなれば活動期の症状をICD10(死因や疾病の国際的な統計基準として世界保健機関 (WHO) によって公表された分類)に照らし、統合失調症の判断を支持するものの、その病名にこだわるのではなく症状に対する対症療法を継続するしかないという回答に収まる。

これからどうなっていくのだろうか?
何年も閉鎖病棟に入ったままのケースもあるだって?
他人の回復具合と比較するなと言うくせに、予後不良のケースについては比較しておけとでも言うのか?
そんなこと、あり得ない……


病人である前に愛する妻であるということすら見失いがちな頃、考えたことがあった。
僕は、病気に試されている。
それでもお前は今ここにないものを信じ抜くことができるのか?
そんな、病魔からのささやきが聞こえてくるようでもあった。
全てを投げ出してしまうこともひとつの答えだろう?
……

いろいろと他の問題も抱えてしまったのも手伝い、根気よく回復を待ちましょうなんて言う主治医からの声掛けに僕の気持ちは反応すらしない。

そんな時、病前の妻の素敵な笑顔を思い出すことだけが、弱り切った僕の心を支えてくれていた。



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16 件のコメント:

  1. はじめまして。娘が統合失調症で入院中です。
    発症しやすい年代より前に発症し、2年で2回入院。
    おまけに薬の効きにくいタイプの様です。
    他の人がどんどん退院していく中、本人もなかなか良くならない事に不信感もある様で、治療自体に妄想が入り治療のせいで悪くされていると思っています。

    悪い意味での珍しいタイプ。
    その事に打ちひしがれて、ここにたどり着きました。
    絶望の中の希望に目を向けようとしますが、どうしても絶望にしか考えられません…
    誰も恨んでいませんが、神は何て残酷なんだろうと思ってしまいます。

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    1. 私の妻も、ほぼ全ての統合失調症治療薬のマックス処方でも改善しなかった時期がありました。
      結果論に過ぎませんが、転院と電気けいれん療法が希望への転機となったことは事実です。
      ただし、私にとっての事実を安易におすすめする意味ではありません。
      状況を改善するための手段は個々のケースにおいて、まさに個々でしかないからです。


      ひとつ心配なのは、ご本人の治療内容への不信感です。
      もし、治療者がそのことに対して〝不信感は症状だ〟と切り捨てるタイプなら、患者と医師の信頼関係の部分で心配です。
      同じ薬を同じ量、飲んだとしても医師が違えば効きが違うと、私は思います。
      信頼関係とはそういうものです。

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  2. 私の娘も統合失調症になりました。お気持ちよくわかります。
    私達家族はよくしようと焦り過ぎ、失敗をしてしまいました。
    結果は娘の飛び降り自殺で最後を迎えてしまいました。
    娘を亡くして13年生きていればと何度か思う自分とあのまま
    ずっと娘を抱えたままで切羽詰まった自分が続いている恐怖
    で亡くなってよかったと思う自分がおり、今も悩み続けております。
    本当に神様はなんて残酷かと思います。
    どうぞ、今はおつらいだろうと思いますが、焦らない方がよろしいかと
    思います。いつか寛解期がきます。必ずきますので、ご家族が絶望で
    つぶされてしまいませんように。取り返しのつかない我が家と同じ後悔
    をもたれることがありませんように。

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  3. 私も、神様はなんて残酷なんだろうと思っているひとりです。娘が12年前に発症し、24歳になりましたが、ここ、2年程は、誰も、何も、信じれず、投薬も、拒否し、私は、母親としてどうすればいいのか、行き詰まっています。

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    1. お気持ち察します。状況は把握できませんが残酷なのが神ではなく医療である場合、それを医療とは言いません。治療とは回復させることを指します。
      豊富ではあるが正確性の保証はないネットの情報、低量ではあるがより個別性に応じた居住区での精神医療と福祉の情報、そしてご家族の交流。
      両者をフル活用して、希望に向かいて欲しいと思います。
      情報と交流は味方を増やし、倒れそうな心の自分を支えてくれるはずです。またそれは、お子さんの経過にも反映されるものです。

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  4. 今日妹が2回目の入院をします朝に病院に行くよいい連れて行きます。「言い出せない」退院して「2月28」4ヵ月くすりは飲むが診察は拒否先生が嫌いの事やっと転院が決まりました。入院当時と病状態は変わらずこのままでは良くないし訓練とくすり効き目の為にと訪問看護師と福祉のワーカの勧めですが、私は不安ですが妹には、目指せ自立一人暮らし「グループホーム」の目標があります

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  5. 初めまして。気が遠くなる気持ち、よくわかります。

    私の妻も統合失調症ですが、症状としては被害妄想が主なものです。私の妻の場合は投薬で効果あることは分かっております。入院になったとしても、長くても4か月で退院となります。

    しかし、妻は全く病識が無いため、いつも、なぜ入院しなければならないのか、全く自分は変わらず周りが変わっているだけなのに、自分だけがつらい目に合わなければならないのか、という疑問をいつもぶつけてきます。
    そのため、退院してもそのうち服薬をやめてしまい、結局再度悪化することをずっと繰り返しています。私も服薬の管理をやってはいますが、仕事があるので、毎日朝晩確認ができるわけではありませんし、確認した時に「飲んだ」と言われたら信じるしかありません。
    また、あまり過剰に管理すると、不信感を抱かれて、自分でちゃんとやるから見ないでと言われて拒否されてしまいます。
    注射治療にしても、2週間に1回の注射になってしまうため、毎回付き添うわけにもいかず、病院側も本人が拒否したら無理やりと言うわけにもいかないので、結局続きません。
    無理についていこうとすると、一緒には行きたくないと言いますし、病院側に家族と一緒なら治療は受けないと言って、本人の意思が尊重されて付き添いもできなくなりました。
    今は離婚調停にまでもつれこんでしまいます。

    無理に治療を進めても、自覚していないので結局長続きしない、本人との信頼感を得ようとして、言われるがままにすると、当然服薬はしないので悪化するのみ、なので、結局どうしていいのかわからなくなってきました。
    私も、今は、先が見えない不安でいっぱいです。。。

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    1. 最も身近な支援者である家族がどれほど努力しても報われないどころか罵倒され、拒薬などの態度をとられてしまうもどかしさ、いらだちはよくわかります。
      私は常々、そういうケースで〝病気に試されている〟と感じていました。そんなとき、自分に言い聞かせていたことは鬼手仏心です。毅然とした態度は深い愛が裏付けるはずです。
      先が見えない。希望が見えない……。希望のかけらさえ拾えずに長い長い時間をさまようような疲弊感は支える者をたやすく打ち負かすかのようです。
      奥様への愛情、病気への毅然さ。二つの視点を常に同時に持ち続けて欲しいと思います。

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  6. 身内が統合失調になり、接し方や気持ちの持って行きようのなさで病気を検索していましたところここへ辿り着きました。
    うちの場合は嫁ぎ先の義妹が嫁いだ翌年に統合失調症と診断され、本人の性格も偏りがみられるので嫁としては若干暮らしにくい環境にあります。義妹はアパートを借りて暮らしていますが調子が悪くなる時と、毎週一回は必ず帰ってくるので、どうしても当事者に合わせた生活をさせられてしまうと感じていることが今の私や旦那のストレスになっております。
    被害妄想も、かなり昔の事だったり義姉である私に対する被害妄想も具体的なものなので、肩身が狭くなったりもしばしば。

    病気に巻き込まれないようにと主治医にも言われましたが、私は義妹は自立を目指し家を出ると言う前提で同居覚悟で嫁いだ身。なかなか気持ちの整理もつかないし、義妹の行動や発言にふり回されたくなくても動けない環境に義妹を連れ戻されてしまうことにイライラしてしまうのです。
    一度は家を出たものの頻繁に実家へ帰り、我がままし放題の義妹が実家へ頻繁に帰る私に良い顔をしません。

    義妹は病気の理解と受け入れは出来てきてはいるけども、自分の性格の歪み偏りに対しては無自覚なので、主治医や訪問介護の方にはカウンセリングなどでそっちも併用してみてもらいたいのに、時をおき、精神年齢が上がるのを待つことしか言われないので病気がない時期でもため息のでる週末を送るのです。
    統合失調症は本来本人の持っている性格が偏れば偏るほど厄介なものなのだと実感させられます。
    もともと偏りのある性格の祖父母に旦那と義妹は育てられており、旦那は自我が出てきたときに反抗する事が出来自我を持っているのですが、義妹は反抗出来ず支配されてしまい性格が偏っている感じです。祖父母は今も健在で私にも子供がいるので4世帯の複雑な大家族となりました。
    その中に昔の自分の立場で入ろうと強引に入ってくるので、私たち旦那夫婦はやっぱりイライラしてしまいます。
    義理母からは昔は困らせることを一切しないイイコだったと聞いています。本来の性格が今出ているのか性格が病気によって変わったのか親にも分からないといった経緯もありますので、本当に複雑な棘が我が嫁ぎ先には存在しているのだと思います。世代交代が一番の薬のように思うのですがなかなか思うとおりには人生いかないものです。
    解放されたいと願うのは私の我がままでしょうか・・・。
    気持ちのもって行き場に本当に困ってしまいます。
    訪問介護はサポートする家族側にもあってもいいと思うのです。

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    1. 統合失調症患者の気質と症状は関係していると、個人的には思います。
      逆に言うと、統合失調症の診断名がついたからといって、一風変わった言動の全ては症状ではなく気質でもあると思うのです。
      そうは言っても、治療者の多くは気質による言動を全て病的体験だと言いがちであるように思います。
      もちろん、医師にもよりますが……

      さて、もう解放されたいと思うほど窮したお気持ち察します。
      ただ…そのお気持ちは、統合失調症患者を支える者の全ての人々が共感し合える気持ちです。
      あなたには会うことはない仲間が何万人と存在することを忘れないでください。
      仲間とは、患者家族です。
      条件は違えど、みな、手探りの未来に希望を探し、もう投げ出してしまいたい気持ちにひと筋の光を求めています。
      ですから、わがままではありません。

      今の気持ちを支えるのはあなた自身であり、そこに結果は付いてくるものと思います。

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  7. 母が統合失調症です。被害妄想がひどく、八つ当たりされ、私まで人格障害になってしまいそうです。その気持ちを知らず知らずのうちに周りにぶつけてしまって、いつの間にか周りの嫌われものになってしまい、頼れる友人もいません。本当に恐い病気です。遅まきながら、あるがままの森田療法に取り組んでいます。香菜子

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    1. 私も母親が統合失調症です。
      自分の何かに気づき、森田療法をされているんですね。
      香奈子さんすごいですね。そこまでされているなんて。

      同じ経験している人はいます。
      周りにぶつけてしまう気持ちもわかります。自分を責めないでくださいね。


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  8. 最近になって、親に統合失調症の気があると診断されました。症状はまだ軽い方ですが、出された薬を殆ど服薬せず困っています。又家が見られていると言い出すので、出来る限り私が家で側にいるようにしていますが、私は受験なので勉学に対しても気持ちがぐらついています。
    親が娘に弱みを見せることは少ないことも理解出来るので、まだ自分も把握していない所で症状が悪化してるのではと不安です。しかしここのサイトを拝見して慢性的なものだと理解したので長く頑張って付き合っていきたいと思います。

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  9. 兄弟が統合失調症です。

    家族が試されると言いますが、正直もう試されるのは懲り懲りです。

    鬼手仏心で接していても、統合失調症患者に理解されることはありません。

    綺麗ごとはもうたくさん・・・と言った感じです。

    私の人生を脅威にさらす敵にしか思えなくなってきました。

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    1. 当事者の症状と支える者の感情がぶつかってしまうエピソードは数知れないと思います。
      症状に感情を理解する能力がないのも事実でしょう。
      そうは言っても、ひとつ感じることがあります。
      それは、憤りとやるせなさが爆発してしまったときの言動について、当事者は案外正確に記憶しているということです。
      あのときあなたはこんな言い方をした、悔しかったorうれしかったetc.フッと意表を突くように漏らす…
      そんなことを感じます。当然、場合によりけりです。それが〝綺麗ごと〟である場合もあるでしょう。
      ただ、付け加えるならば…当事者に意表を突かれるのは、試されることさえできない程度の距離感を置いたとき…でした。

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  10. 香菜子です。統合失調症の家族のお世話に日々取り組んでいますが、罵倒されたり叱られたり、家族からは逆に私が精神病だと罵られることも頻繁です。先日はお金を泥棒したと被害妄想で何時間も騒がれてしまいました。いくら誠心誠意尽くしても感謝されることはありません。なかなか先が見えない生活ですが、あるがままの森田療法の精神で気楽にいこうと思うようにしています。自分の人格まで崩壊して人格障害にならないように、森田療法の勉強会にも参加してみようと考えているところです。全て完璧にやろうとは思わず、少しくらいは自己中心的で身勝手でも良いと割りきれるようになってきました。いろいろな方にアドバイスをもらうことで気持ちも少しだけ楽になってきました。香菜子

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