統合失調症の症状への対応、抗精神病薬の副作用、精神科医との信頼関係、患者との関係性……。患者を支える家族の悩みは深く長期間に及びます。このブログは、妻の医療保護入院による夫の感情体験を書籍化後、支える家族にとっての精神疾患について、感じること考えることをテーマに更新しています。
著書 統合失調症 愛と憎しみの向こう側
患者家族の感情的混乱について書き下ろした本です(パソコン、スマートフォンなどで読むことのできる電子書籍)ブログ〝知情意〟は、この本に描いた体験を土台に更新されています
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被害妄想の対応に方法論は通用しなかった

統合失調症による被害妄想は当事者も家族も誰もが苦しめられてしまう症状だ。
むろん、患者家族は接し方にも困惑する。



被害妄想というと他者への必要以上の疑心と解釈できようが、統合失調症の被害妄想とは不特定多数の他者に対して生じることが特徴であると、当時の主治医から聞かされた。
これはつまり除外診断のような意味を持ち、妻の統合失調症診断を覆すものでもあった。
と言うのも、当時、妻の被害妄想の対象は不特定多数の他者ではなく、地域や学校関係の人々に対して生じており、いわゆる〝世の中の誰かが自分を攻撃する〟などのような被害妄想ではなかったのだ。

どこの誰々さんとまで特定することは希であったとしても、自治会内の誰かさんであったり、娘が通っている学校の母親連中など、ある程度の限定された人々に対して被害妄想を膨らますといった格好である。

このケースを当時の主治医に言わせると、ある程度であっても限定的な人々に対して抱く被害的妄想は統合失調症の典型例ではないと言う。
統合失調症患者が抱く被害妄想とは、対象が世の中や世界など……対象物は非常に大きくなるからだと。
そのような理由で、当時の妻は統合失調症ではなく妄想性障害という診断に結論付いたのを記憶している。
そこに論拠はあったのだろう。なぜなら、当時の彼女は被害妄想は強かったなりに子育てや主婦業など、日常生活はおくれていた。
つまり、被害妄想以外の症状は出現していなかった。もちろん幻聴も幻覚もなく支離滅裂な思考も言葉のサラダも見受けられなかった。

家族が統合失調症の診断を受けた場合「ショック」という感情を抱く患者家族が少なくないという。これと同様に、統合失調症の診断を除外された当時の僕は「ほっとした」感情に包まれたことは事実だ。
大切な家族が統合失調症の判定を受けることはやはり、家族にとって重い事実に違いない……。

ところが、年単位の時間が経過するとともに妻の被害妄想は徐々に拡大していった。
地域は世の中へと拡大し、学校は文部科学省へと拡大する。
同時に、子育ての放棄や精神的混乱による主婦業の頓挫などの日常生活能力も破綻した。

一時的な妄想性疾患が悪化して慢性的な統合失調症へと変化してしまったのか?あるいは、薬物療法と彼女自身の相性が悪かったからか?
もっとシンプルに言うと、こうなる運命だったのか?
なんであれ、病状は悪い方へと転がり落ちていったのが結果である。


こうなると、彼女の被害妄想は全く訂正がきかないものへと変化した。
精神病的な妄想は当事者にとって真実であり絶対である。かけ離れた世界の誰かが自分をどうにかしようと企てていると妄想することは本人も非常にエネルギーを消費する精神活動であるが、そばにいる家族も莫大なストレスを抱える問題だ。
事実無根の被害妄想を引っ繰り返そうとしても、助言も論理もなにもかも通用しないのだから、家族があらがうほど泥沼にはまっていくようだった。
すると、相手との関係性も次第に悪化していくという悪循環にはまる始末。

わからないでもない……、誰だって真実を全否定する相手に対して猜疑心を深めるのは当然だ。やがて妄想の矛先が自分に向けられると、いわゆる修羅場のような家庭内事情となり、子供達は〝そこに触れぬことが暗黙のルール〟だと学び、僕も子供達には〝隠そう、見せまい〟とする努力を始める。
深くて暗い、統合失調症による家族問題がひっそりと生じ始める。


――当時の主治医はよく言っていた。
奥さんの被害妄想には否定も肯定もしない感じで接してあげてくださいと。
一般論は教本から読み取ると軽い感じがするが、精神科医である主治医の口から聞かされると、それなりに重みがあるような気がした。
だがしかし、妻の精神世界は奥深く広がっていて、否定も肯定もしないなんて小手先の方法が通じるものではなかったのだ。
ひとつの妄想に対して否定も肯定もしないスタンスで応じても、奥深く広がる妄想の世界では幾つもの妄想がリンクしているため、妻にとっては僕の接し方が極めて矛盾である場合があるのだった。
「何を言おうが揚げ足をとられてしまう」と言えばわかりやすいだろう。否定も肯定も、もうどうでもよく…なにをしようが〝どうにもならない〟のだ。
だから背を向けているしかないのに、その対応自体を被害的に受け止めつつ多弁に責め返されて窮してしまえば…「いったいどうすればいいんだ!」と夜空に絶叫するほかなかった。
このような状況が多年に及べば、患者家族の疲弊は極まる。悲しみも不幸も幸せも笑顔も、いっそ全てが同時に消えてしまえば楽になるはずだと頭によぎる体験は患者家族の共通の感情体験ではないだろうか……。

統合失調症の被害妄想に対応するとき、否定も肯定もないと…僕は思うときがある。
どう対応するか? ではなく、そばにいることではないか?と思うからだ。
窮すれば窮するほど人は方法論で解決を試みるものだが、同時に見失うのは、患者の苦しみである。よく考えてみれば事実でないことを真実だと思う病的症状は想像もつかぬほど苦しいはずに違いない。
また、妻の場合もそうだが病的な自分の中には健やかな自分が存在する。
つまり、妻にとって被害妄想は真実でありながら事実ではないことを理解しているのだ。このような精神状態で過ごすことの生きづらさがどれほどのものか?
彼女は言う。妄想に追われて僕を責め抜いたとき、僕の接し方なんて記憶には全く残っていないそうだ。彼女の記憶に残るのはひとつ、気の済むまで妄想につきあってくれた僕の存在感だったと……。



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4 件のコメント:

  1. 身内の精神疾患は家族を地獄に突き落とします。これは経験者じゃないとわかりません。
    私の母は双極性障害1型でした。初めて発症したのは私が10才の時です。もはや手のつけられない状態で病院で拘束されました。母は田舎のお嬢様で恵まれた人でした。PTAの役員をしたり近所の信頼もありました。
    長女だった私は母からずいぶん酷い言葉を投げつけられ発狂した母に伸ばしかけの髪を切られました。『この子は今に男に騙されて周りに迷惑になる』と症状が治まった母は全く覚えてないそうでした。が私はずいぶん長い間この件がトラウマになりました。病気だから仕方がないと頭でわかっていてもです。2回目は私は中学生でした。
    発狂した母を入院させた後、父は泣いてました。兄は私にむかってポツリと『あの血は俺達には流れてるんだぞ。恐ろしいな。』と…
    その後母は急逝しました。母を救えなかった罪悪感とともに安堵感もあったのも事実です。肉親の死にまして42才の若さで亡くなった母に対し安堵感を持つ私は世間では酷い人間なのかも知れません。母の死は私の家族に対する信頼を破壊しました。
    精神疾患は世間では冷たい扱いを受けます。死後30年近くたちますが親しい人にも母の疾患は伝える事は難しいです。
    幸い私の兄妹は健全に生活してますが家族は破壊された状態です。若い頃悩み年上の人に相談したらそんな事愛情があれば関係ない。と綺麗毎ですまされました。おそらく体験しなければわからない苦痛です。精神疾患は人には伝えにくい症状です。しかも誤解も多い。そして理解されない。面白おかしく中傷される。患者当人も苦しみますがサポートする家族の負担は想像を絶します。肉体面から経済面ましてや親の立場で発症すれば家族の日常生活も破壊され精神状態も追い詰められます。私には何もできません。当たり前ですがただ貴方の苦しみが体験者としてわかります。

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    1. 精神疾患が及ぼす諸問題が家族の人間関係を地獄に突き落とす例は少なくないと思います。
      そして修復も、非常に困難、いえ、不可能かもしれない。
      それほどのエネルギーが、精神疾患にはある。それもまた大げさではない事実だと思います。

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    2. 精神疾病ならまだいいが人格障害は本当に正真正銘『精神異常者』の類だからな。
      そして精神疾病は人格障害を極めて併発しやすい。
      人格障害傾向を伴った精神疾病はどうしようもない。

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  2. 一度この本を読まれる事をお勧めします。
    妻の被害妄想を病気の症状だと思っていた私には目からウロコでした。

    被害妄想を病気の症状と思っていたから成す術が無かった事も初めて理解できました。

    http://www.amazon.co.jp/dp/B01ABDM0LW

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