統合失調症の症状への対応、抗精神病薬の副作用、精神科医との信頼関係、患者との関係性……。患者を支える家族の悩みは深く長期間に及びます。このブログは、妻の医療保護入院による夫の感情体験を書籍化後、支える家族にとっての精神疾患について、感じること考えることをテーマに更新しています。
著書 統合失調症 愛と憎しみの向こう側
患者家族の感情的混乱について書き下ろした本です(パソコン、スマートフォンなどで読むことのできる電子書籍)ブログ〝知情意〟は、この本に描いた体験を土台に更新されています
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2014年診療報酬改定を受けて精神科病院の外来処方制限が10月から開始

2014年4月の診療報酬改定による処方制限の調整期間が終わる



2014年4月、診療報酬の改定により、精神科病院の外来では抗不安薬、睡眠導入剤は2剤まで、抗うつ剤および抗精神病薬は3剤までに制限されるルールが発表された。

そして半年間の猶予期間、言うなれば減薬調整期間を経て来月10月にルールが本適用される。
つまり、来月からこの運用に従わない精神科病院は診療報酬のいくつかの項目で減算されることとなり、それ以上の多剤処方を行った場合、減算を〝かぶる〟のは病院である。

ところで、〝抗不安薬、睡眠導入剤は2剤まで、抗うつ剤および抗精神病薬は3剤まで〟とあるが、実際のところ、数ある薬剤を抗不安薬として使用するか睡眠薬として使用するかは精神科医の判断や患者のケースによって決して一定ではなく、該当薬がルール上どの分類にあたるのかは非常にグレー色が強い。
また極端な話、入院患者数を差し引いた300万人近い全外来患者に対して2剤まで3剤までというルールを適用できるはずもないことは誰にでもわかることだ。
不適切な多剤処方、不適切な減剤処方、そのどちらもが患者をないがしろにした医療であることは言うもおろかである。

参考=厚労省平成26年度診療報酬改定について


国策は別として



精神科医療と言えば不透明な多剤大量処方の代名詞だとするイメージが色濃い。
そのせいか、向精神薬の処方制限は精神科医療の不当な多剤大量処方にメスが入れられたと解釈する向きが強くあるだろう。
けれど、それは仕方のないこと。薬を出せば出すほど儲けがあがる明快な構造により得た社会的損失も甚大であるからだ。アメリカの使用者数の6倍と言われるベンゾジアゼピン系の抗不安薬。安全かつ問題が無いとされ漫然と国内に流通した結果、失われた人生の数はいかほどか? 中断によって激しい離脱症状を生じる場合があるベンゾジアゼピン系の薬物。イギリスには減薬、断薬を支援する専門施設もあるそうだ。
精神科にアクセスすることは間違いではない。けれども、あの日あのときに出会ってしまった精神科医によって失われた時間を抱きながら生きる人々の存在は、社会的イメージではなく現実の社会問題であることを指すはずだ。
政治も文化も異なる他国と同列で単純比較するのもどうかだが、泣いても叫んでも走り回っても離脱症状から専門施設が守る国と日本の違いはなんだろう……。

そもそも、精神医療は必要悪とでも言おうか……立場と状況によっては白でも黒でもある印象が根強く存在していたはずだ。
白は医療の白、黒は薬害の黒。――まさに精神医療の光と影である。
薬は人を救うものであるのに使い方を間違えば、いや、狂った使い方によって失われた患者の人生は国が目をそらしてはいけない〝事実〟なのだ。

だからといって、概念の広い向精神薬の分類もしかり、深い専門性がなければ正確な判断ができないことであるだけに、精神科医療を受けていながら精神科医療を疑うばかりでは疑っているだけの自分で止まったままだ。

露骨な減薬は結局、患者のこと以上に損はしない方針なのかと勘ぐってしまう?
儲けのために多くの薬を出しておきながら、これからは制限がかかりますよのひと声に猫の目のようにクルクルと処方を変えてしまう治療者?
たしかに、森の中の腐った枯れ木のように〝腐った治療者〟はいるのだろう。
その一方、疑うばかりであるほど腐った枯れ木から離れようとしない、そんな成り行きが少なからずあるような気も……する。

国策とかかりつけ病院との相関関係を観察しながら、もっとも近い距離で接する〝主治医〟の考え方と治療内容をより冷静で客観的に判断することが精神科医療のユーザーとしての大事なスタンスではないかと思う。
精神科外来の処方制限スタート。それが高質な治療のための処方なのか診療報酬減算を回避するための処方なのかについては、家族として当事者として常にアンテナを張っておく必要はある。


僕らの場合――



つい先日、念願の単剤処方となった。
手のひらに載せてみればジャラジャラと音がするほどの向精神薬が必要であった入院期に比べると、このシンプルな処方はどこか人間味を感じさせてくれるような妙な気分に浸る。
入院期――、ジストニア、パーキンソン症状、重い副作用を呈しながら精神症状が乱高下するありさまの妻。
「予後は悪いでしょう……」
当時の担当医がもらした言葉は失意と悲しみとなり、僕の心を突き刺した。
と同時に、僕には薬物療法に対する疑問と怒りが充満していた。
薬剤情報を手にしてセカンドオピニオンを受けても〝許容範囲内〟と素っ気ない回答は、一般的なセカンドオピニオンとは現在の治療に対して真っ向から疑義を呈するスタンスではなく、むしろ角の立たぬように補足的な説明を行うだけのものだと感じた。

向精神薬を減らせば精神症状が押さえられない、増やせば副作用が著しい……。
飲めば飲むほど妻が壊れてゆく……?
治療に堪えるとはこういうことなのか?
医師は、妻の薬物代謝能力と精神状態を精察しながら処方を指示しているのだろうか?
当時の僕には、そんな感情が常に存在していた。
そんな薬ならもうやめてしまえとばかりに治療を中断することも頭によぎるが、曲がった家族感情で治療を中断することは妻への愛ではなく僕のエゴとも言えただろう。

腐った枯れ木から離れ、さえずる小鳥が枝にとまるような木……と書くと言い過ぎだろうか、僕は妻を転院させた。
そして、一日一日を積み重ねてきた。

「なんだかずっといい感じだね」
「うんうん、大丈夫だよー」

こんな会話が花咲く今日このごろではあるが、このたびの単剤処方は妻の状態に応じた結果なのであって、国策とは関係のない話でもある。

この調子でいけば、いつの日か……維持量としての服薬さえ必要がなくなるかもしれない? そんなことをほっこりと思う最近――故意的に激しい断薬に転じることなどでなく、じわりじわりと時間をかけて、歳を重ね、そうしていつの日か結果として薬を必要としない妻を思い描いている。



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1 件のコメント:

  1. はじめまして。6年ぐらい統合失調障害と誤診されて、毎日20錠は薬を飲んでおりましたADHDの大人の当事者です。

    体も悪く、家庭の事情もあり、別の精神科へ障害基礎年金の為に
    受診しています。平成26年4月の法律改定の用紙はもらっています。

    しかし、こんなのずっと30錠、40錠飲まされている患者には通用しません。
    理由はやめられないからです。

    まさに実験台だと思います。ご存知のとおり薬は飲まない方がいいです。ただ、奥様の症状なのか、離脱なのかわからないところが謎です。
    しかし、よくなってきたと感じられるているので、ゆっくりと回復すれば薬やめられます。お大事に

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