統合失調症の症状への対応、抗精神病薬の副作用、精神科医との信頼関係、患者との関係性……。患者を支える家族の悩みは深く長期間に及びます。このブログは、妻の医療保護入院による夫の感情体験を書籍化後、支える家族にとっての精神疾患について、感じること考えることをテーマに更新しています。
著書 統合失調症 愛と憎しみの向こう側
患者家族の感情的混乱について書き下ろした本です(パソコン、スマートフォンなどで読むことのできる電子書籍)ブログ〝知情意〟は、この本に描いた体験を土台に更新されています
このブログについて | 記事一覧

スポンサードリンク

親子 配偶者 兄弟姉妹 恋人――属性とエゴイズムと〝青〟

親、子、配偶者、兄弟姉妹、恋人――。
自分が大切に思う人の属性はさまざまだ。
では大切な人が精神の病に罹患してしまったとき、問題の受容もまた属性によって質が異なってくるのではないか。
つまり、我が子が罹患することと婚約者が罹患することでは両者の思いは異なるはずだ。

かなり……汚れた話に振ろうと思う。

我が子が統合失調症などの精神疾患を発症すれば、親は子の生涯支援を無意識に視野に入れるだろう。そして、一般論として子より親が先立つとするなら親亡き後の子の療養生活を案じる。だから、親と子、二人分の生涯にわたり日常的問題のフォローを考えざる得ない。
それが愛情なのか? あるいは義務なのか? いずれにしても切りようのない関係は人を強い責任に紐付ける。
兄弟姉妹ならどうか?
親ではなく兄弟が面倒を見ることに不服なケースもある。あるいは、親であれば許せる行為が兄弟にすれば単なる悪感情を蓄積していくだけの場合もある。

彼らの苦悩が行き着く究極の局面が……
「悲しみはなくほっとした……」
と患者の死に向けた家族の言葉に表される場合だってあるだろう。

他方、恋人が重い精神疾患を発症したとき。それをエゴだと言うにはあまりにも理不尽だが、きっとこれからの人生を共にすることの〝損得〟をはじくだろう。
でもそれは、幸せになる権利を有する誰もに許された人生の選択ではないだろうか。だから、エゴと言うにはあまりにも理不尽なのである。

愛だけでは支えられない問題がある。それが精神疾患の悲しさだ……。
荒唐無稽の暴言を吐かれ、人としての統合性を失ってしまった相手と向き合うことは、ただただ辛い。
患者の人生から退場してはいけない理由はあるのか?と問われて答えられる理由は、おそらく、無い。

配偶者はどうか?
もとは他人、切ろうと思えば断つことの出来る関係。それが夫婦だとして、もし、相手が精神の病になったとき――。
よく、相方が重い精神疾患になれば離婚することがデフォルトだと考える人がいる。
そういった考えの人に〝薄情だ〟と意見する人もいる。
けれど薄情だと意見する人が、もし、我が子の配偶者が重篤な統合失調症におかされたならなんと言うだろう?
離婚することも選択肢のひとつではないか? と、意見するかもしれない。

人は、問題に近づけば近づくほどエゴと弱さが見えてくる。
もっとも、人間とはそんなものだということが言いたいだけであって、それが悪いことだとは言わない。
だが、とにかく人は悲しくも薄情な側面もある……。そして強くない。

だからこそ、僕はエゴと汚れと弱さに抗う青々とした感情を綴り続けたいと思うのだ。



この記事に投票する➡ にほんブログ村 人気ブログランキング

  • ?±??G???g???[?d????u?b?N?}?[?N???A

5 件のコメント:

  1. 岩崎様
    以前に統合失調症の母がなかなか入院できずにご相談したBです。
    先日、専門病院に医療保護入院となりました。
    叔母と一緒にドライブに誘い、連れ出すことに成功。
    病院の門をくぐれた時は、ほっとするような、重いため息がでるような
    何とも言えない感情でした。
    流れ的に現地で待ち合わせた伯父が入院しているのでそのお見舞いということに
    なってしまいましたが、かえってスムーズに病院に入れました。
    父は身体障害者ですので移動が大変だし、不自然なので来ず。
    入院の保護者は私に。
    ・・・複雑。
    医師の説得にも首を縦に振らず、入院の同意書に母は署名しませんでした。


    以前の主治医からはなかなか入院させてもくれず、紹介もなかったのですが、
    母が通院している病院と父が入所している施設は同じ建物で、
    夜こっそり父の部屋へやってきたり、最後は帰らず泊まっていったりと
    病院に迷惑がかかり、その苦情のからでしょうか、ご希望の病院に紹介状を書きますと。
    以前より調べていた病院2つを伯父叔母に相談し、決めた病院は、なんと以前に伯父の次男が
    入院したことのある病院でした。
    母の親戚は精神的な病気を患っている人がとても多いのです。

    私が子供の頃も母は入院したことがありますが、子供心に何か感じるものがあったのか
    私は1度もお見舞いに行きませんでした。
    初めて入る鍵のついた病棟。
    面会に行くと、面会室のすりガラスに顔をくっつけてずっと覗いている人がいたり、
    大きい食堂スペースには壁に話している人、私の後ろをついてきて離れない人、
    廊下を歩くと1歳の息子にはあちらこちらから手が伸びます。
    そして母はすっかり、そちらの側の人になっていました。
    顔つきがこんなにも大きく変わるものなんだと、これで良かったのか?
    元の母に戻れるのか??胃が重くなりました。

    投薬と作業療法。
    薬は怖いけど、でも飲まないでいられるわけではない。
    今までは処方されても飲まなかった薬も今は看護師さんの目の前で飲む。
    電話がかかってきても、ますますおかしい話ばかり。
    今は合うお薬を探っているところなので、との説明。
    うん、そうだろうなとは思うものの、人間って薬1つでこんなに簡単に変わるものなんだと
    怖さを覚える。

    結局母は、発言や行動がおかしくなってからの6年くらいの間に、
    資産を半分どころではない、ものすごい金額を使い込んでしまっていました。
    母が年齢とともに介護や日常生活が大変になればその程度に合わせて
    ヘルパーさんの利用と、家政婦さんを入れたとしてもそんなに窮屈なく暮らしていけるはずの
    両親の老後は、無くなってしまいました。
    父は施設メインで月に良くても1週間帰れるかどうか。
    贅沢どころか生活を気にしないといけない状況です。
    私も産後本格的に母が悪化したため、仕事が出来ず、介護貧乏ってこういうこと?と。
    自分の家庭の収入も減ったのに、両親に援助するどころではありません。

    人権重視。大切でしょう。わかります。
    でも、必要な時に入院が出来ず、状態をこじらせ、おかしな言動がエスカレートすれば
    周りからの信用を失い、友を失い、お金や物を失い、家族を失う場合だってある。
    それで患者本人は本望なのでしょうか?
    そこまでして守った人権で、患者は人生を失う。
    それでいいのでしょうか?
    家族がうつ病になったり、家庭内不和が生じたり、夫婦であれば離婚したり、
    少し前におきた事件、同級生を殺害した女子高生の父親のように命を絶ってしまったり。
    以前の主治医は父に言いました。
    ストーカーと同じなんです、と。
    何かおきないと入院はさせられない。
    自傷行為や自殺したらどうするの?もしも犯罪者になってしまったらどうするのだろう?
    そんなことを待つなんて、ひどすぎる。

    両親のことで本当に辛く、心も体もバランスを崩し、私からすっかり笑顔が
    消えていました。
    息子の笑顔が満開になっていないことでやっと気づきました。
    これではいけないと、しっかりせねばと頑張ってはいますが、
    本当に出口の見えないトンネルを恐る恐る、こっちへ行くしかないんだと
    ゆっくりゆっくりじりじりじりじりすり足で歩いているような気分です。
    こっちがいいのかわからない。
    でも、この目の前になんとなくあるこの道しかないような。
    理解のある主人で仕事も忙しいのに無理して頑張って少しでも私といる時間を作ってくれています。
    ありがたいのに、時々イライラして当たってしまって自己嫌悪することもしばしば。
    私が弱い人間なのか、母の血筋だから精神的に弱いんじゃないのか?ひょっとしてもう病気なんじゃ??
    そんな思いが最近頭をよぎります。
    もう両親に事は何もかも投げ出して、もうすっかり忘れてしまった私の人生に集中して生きたい!
    もういや!さんざん子供のころから振り回されてきましたから。
    でも、でも、その子供のころを思い浮かべると、そんな中でも笑顔もあったし、
    両親の愛情にやっぱり感謝し、放ってなんておけない。
    でも倒れそう。
    2人が穏やかな笑顔のなる日が来るのでしょうか?
    これが私の子供のころからの切なる願いです。
    このために頑張ってきました。
    笑って。どうか、2人に笑ってほしい。
    自分の子供にこんな思いをさせないように、またここでも頑張る、けど、
    いつか私自身がダメになってしまいそうで、最近とても怖いです。
    もしかしたら、治療がうまくすすんで、楽しいお正月を迎えている、なんてことが
    あるのかな?
    今は私が悲観的なだけなのか?
    本当に本当に、大変な病気だと思います。

    返信削除
    返信
    1. Bさん、ご連絡ありがとうございます。その後の経過を勝手ながら心配しておりました。
      入院されたとのこと。
      まずはホッとされた心境ではないでしょうか……。
      と同時に、今度は医療に対する不安と期待で精神的に不安定な状況が続くかもしれませんね。

      〝笑って。どうか、2人に笑ってほしい。〟
      このBさんのお気持ちには私も目頭が熱くなりました…。
      回復を強く願う一方で御自身を強く問うておられないでしょうか?問う内容は言うに及ばずですが。

      こんなことを言った人がいます。
      なぜ精神病になってしまったのか?
      と、考える必要は無い。それは運命なのだと。
      そう、発病は運命だと考えることも、この疾患の場合、ひとつの合理的な思考ではないかということでした。
      なるほど、そのような考えもあるのでしょう。

      このことに私個人が思い加えたことがあります。
      それは「運命は努力する者を裏切らない」ということです。

      Bさんが、これまで途方もない時間を費やしながら努力されてきたことは前回のメールから痛いほど察します。
      そして今回の医療へのアクセスについても感情と行動の努力を要したはずです。
      また、これからもそうでしょう。
      それに対して、運命は裏切らないのだと思います。

      どうかBさんを含めたご家族が〝笑顔〟でつながれることを強く強くお祈り申し上げます。

      そして医療を疑わず、それでいて広い視野を持ち、Bさんの直感に躊躇することなく、入院先の治療環境を精査し続けることが大事だと思います。



      削除
  2. 前に書いたものが
    反映されていないので
    もう一度書かせていただきます。

    私は単純に今日はお花が咲いて
    綺麗にさいたなぁって思ったり

    今日は掃除が出来た。
    洗濯ができた。
    食事が作れた。
    買い物へ行けた。
    ショッピングが楽しかった。
    DVDが楽しかった。
    と小さな喜びで一日過ぎて行けばなって
    思います。

    難しいですね、岩崎さんが
    お書きになっていること。

    私には分かりませんが
    過去を振り返っていいこともありますが
    悪いところはあまり見ない方が
    よいように思います。

    それを書いてすっきりするのなら
    良いですが
    かえってしんどくなるような事は
    しない方がいいし。

    言っても仕方がありません。

    ストレスのはけ口になるなら
    このブログも価値が
    あるのかもしれませんね。
    岩崎さんにとって^^;

    私は両親にも
    親戚にも病気で
    責められたこともないし
    ひどい事を言われた事が
    ありません。

    知っていても知らないふりをしてくれて
    普通扱いです。

    結婚するとまた全く違うのでしょうね。

    岩崎さんとは考え方が違いますが
    お互い頑張りすぎずに
    頑張りましょう。

    お節介ですが。

    返信削除
  3. なかなか承認されないようなので
    もう一度チャレンジです。

    岩崎さんのおっしゃる事は
    私には難しいです。

    私はもっと単純です。

    今日は綺麗なお花が咲いたとか
    いいお天気だとか
    紅葉のシーズンだとか
    お花見日和だとか

    掃除が出来たとか
    食事が作れたとか
    洗濯が出来たとか

    DVDが見れたとか
    ショッピングへ行って
    楽しかったとか
    散歩が気持ちよかったとか

    そう言う些細なことができれば
    幸せだなって思います。

    私は休みながら一歩ずつ
    時には後退することはありますが。

    着実に最悪レベルの状況が
    入院から少し横になったら
    良くなるくらいのレベルまで
    やっとなりました。

    ちょっとした事が喜びと
    今までは見えなかった
    自然の恵みに
    感謝して前に進めればなって
    思います。

    後を振り返るのも大事かもしれませんが
    今頃それ言っても仕方がない
    と思う事はしない方がいいと思います。

    でも岩崎さんがここで
    ストレスのはけ口になるなら
    それもいいかと思います。

    幸い私は親戚に
    罵倒や叱責をされた事がないので
    感謝しています。

    知っていても言わないです。
    言ってみてもどうにもならないからだ
    と思います。

    それよりいい思い出をいっぱい作って
    ストレスがたまったら
    リフレッシュを上手くできれば
    それでいいです。

    日日の事や季節の移り変わりなどを
    楽しみたいです。

    岩崎さんとは違う考え方
    かもしれませんが。

    お互い頑張りすぎずに頑張りましょう。

    お節介かもしれませんが。

    返信削除
    返信
    1. 良きご家族のサポートありきで現在の匿名さんの良好な状態があるのですね。素晴らしいことだと思いますし、是非、多くのご家族や当事者の方々の参考になって欲しいと思います。
      さて少し誤解されているようですが、私は〝自己のはけ口〟としてブログ運営はしておりません。様々な逆境がともなうこの疾患と人生単位で向き合ううえで、他者の体験・事例は個別の〝答え〟に照らされる場合があるかと思います。
      もちろん、同様の概念で運営されているブログも他に多数ありますが、このブログもそのひとつです。
      そして、視点は〝家族の立場〟です。
      さらに、思いは同じです。
      支える者の光と影について、感情という側面に鑑みながら綴っております。

      削除

最近のコメント


ご意見、ご連絡はこちらから

名前

メール *

メッセージ *

Copyright (C) 2013-2016 copyrights.知情意 All Rights Reserved.