”入院すれば病気が良くなる”との考え方は、精神科病院への入院経験がなかったことによる勘違いだったのかもしれない。それは、入院しても病気は良くならないという意味では決してなく、入院によって結果を見積もることは困難だという意味に近い。
確かに、入院加療が開始されれば日々の細やかな薬の調整と徹底した服薬管理を軸に、社会的刺激との遮断や昼夜を問わない見守りなど、入院を経験したことがない者にすれば大きな期待を寄せるのが自然な考え方だと思う。
だが、十分な抗精神病薬を十分な期間にわたって使用しても、薬物療法への抵抗性を示す患者だっている。また、そのことに自分達を照らせば、経験した電気けいれん療法も切り札的な処置であったのだろう。
こういうことは、事態が収束して感情的にも落ち着いた今、後ろ向きに振り返った時にようやく、ジワリと理解できてきたような気がしている。
妻が医療保護入院となって数ヶ月が経過した頃。相変わらず病勢が治まる気配はなく、むしろ幻聴や幻覚といった病的体験が活発になっていく状態を後追いするかのように増量されていく抗精神病薬。
本当は毎日でも会いに行ってやりたいが、医療保護入院により輪番制の担当病院への入院となったために自宅からの距離は遠い。それに加えて、仕事と家事に追われる毎日の僕にとって、妻への面会は仕事が休みの日に限られていた。
それでも、週末には決まって病院に車を走らせる僕が、車中で考えることはひとつ。
それは、妻の状態はどれくらい良くなっているだろうかということ。主治医による増薬の説明を受けてから今日は何日目なのだから、ひょっとしたら劇的に薬の効果が表れていて、彼女本来の明るい表情が蘇っているかもしれない。主治医からは一週ごとに変化を期待するなんて現実的ではないと聞かされているけれど、僕には停滞する病像への不安と焦りを抑えることなどできやしないのだ。だから、一日でも早く元気になってほしい。幻聴も幻視も……妻を苦しめる全ての病苦が消失して彼女本来の無邪気な笑顔を取り戻してほしい。
――本当は何も変わっていないだろうことは感じていた。
だが、当時の僕はそういう気持ちを叩きつけるようにして、回復した彼女の姿だけを思い描くことで自分を支えようとしていたのかもしれない。
その病院は造りが古く、受付から病棟までは少し複雑な動線での移動が必要だった。建物が古いからどうだと言うことでもないが、平成の中の昭和とでも言おうか……病院に対してどことなくもの寂しさを感じてしまうことは否めない。また、窓越しから煽るようにして聞こえてくる重篤な他患者の雄叫びが、物悲しさも付け足してくれていた。
面会の手続きを済ませて病棟に向かえば、錐体外路症状を強く出現させながら院内を歩いているいつもの患者さんと出くわす。歩いているというよりも歩く他にないといった印象であると同時に、この病院で年単位の生活を繰り返しているのであろうことは聞かずとも察する。しかし、そんなケースを見て感じるごとに、自分達に当て嵌まることがあってはならぬと目を背けた。
不必要な雑念に駆られながら到着した急性期女性病棟。
「――面会をお願いします」
「はーい、少しおまちくださいねー」
応対してくれる看護師の明るい声だけが救いではあるが、インターホンの音に反応した他患者が鉄扉の向こう側から扉をバンバンと叩く。その患者と目が合えば目をそらす僕は、複雑な心境に包まれながらその場にたたずんでいる。そして数分後、看護師とともに出てきた妻の姿は僕に対して容赦の無い現実を叩きつけられたようなものだった。
激しい病的体験と抗精神病薬の残酷な副作用が入り乱れたような人相で、フラフラしながらも厳しい目線で僕を敵視する彼女。もうすでに、平凡ながらに幸せだったはずの病前の夫婦関係は存在していなかった……。
「ほらっ……旦那さん、せっかく来てくれたんだから、どうする?」
それでも、看護師の問いかけに力なくうなづいた彼女に、ただなんとなく救われたような気持ちにもなりながら別室へと向かった。そう、ここでの面会は別室で行われるからだ。
外から感じる限りでは騒々しそうな急性期病棟から静まり返った面会室に入ると、外側から施錠される。古びたソファーに腰を下ろせば、何を話すでもない二人は肩を寄せ合うだけではあるが、そのうちに妻はうとうとしだす。
ほんの少し安心したかのようにすうーっと眠る彼女の横顔は無邪気そのものだ。僕は、妻の寝顔を見つめながらいろんなことを考え続ける……他院、他医ならば経過や処置も変わるのだろうか? 経過は人それぞれだからと言うが、本当にその言葉を信じていいのか? そして、医療保護入院への同意は正しかったのか?……そうしている間に、ものの十分程度で目を覚ますと我に返ったように幻聴に耳を傾け始める彼女。今、こうして同じ次元に存在しているのは間違いないことなのに、彼女は完全に別の次元で生きているような気がしていた。
だだっ広い面会室で、アニメソングを歌いながら走り回っている他患者が居た。面会室なのだから家族との面会中なのだろう……、そう言えば、向こう側にはそれらしき母親が座ってこちらを見ているのがわかった。
そして、走り回るその他患者が僕らの前で立ち止まって凝視してくれば、「そんなに走るとあぶないよ……」と、妻が辿々しく声をかける。すると今度は、向こうで座っていた母親が追いかけてきて「――あらあら、ごめんなさいね……」と軽く頭を下げてくる。疲れきった表情に矛盾するような朗らかさに、僕は理解できない心情を抱いてしまった。
何の力にもなってやれない無念だけを他の患者家族と共感し合うような面会室での出来事だったが、今ここにないものを信じ抜くことがどれほど難しいことであるかを噛み締めた体験は未だに僕の胸中に残っている。
面会の帰り道。しゃんとしろ! おまえがしっかりするんだ!
僕は、自分にゲキを飛ばしながら空をにらみつけていた。
統合失調症の症状への対応、抗精神病薬の副作用、精神科医との信頼関係、患者との関係性……。患者を支える家族の悩みは深く長期間に及びます。このブログは、妻の医療保護入院による夫の感情体験を書籍化後、支える家族にとっての精神疾患について、感じること考えることをテーマに更新しています。
著書 統合失調症 愛と憎しみの向こう側
患者家族の感情的混乱について書き下ろした本です(パソコン、スマートフォンなどで読むことのできる電子書籍)ブログ〝知情意〟は、この本に描いた体験を土台に更新されています
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今年の五月と六月に両親が鬱病で措置入院中で、姉は 20年以上統合失調症で治療中です。私も姉も未婚で、親戚も高齢で付き合いも薄い為、一人で真っ暗闇の中にいる状態です。姉とは 20年以上別に暮らしていたので、両親の入院で不安定な姉の症状に恐れと大きな不安を抱えています。
返信削除明けない夜は無い、止まない雨は無い、それは明けたから、止んだから言えることだと、私は今、まさに思っています。
まずは匿名さんの味方を増やして欲しいと思います。他人でもかまいません。他人というのは地域の精神保健福祉関連の相談センターです。
削除また、お姉さんが〝どんどん悪くなってしまったらどうするか?〟について具体的に段取っておくことも必要かと思います。その手法について地域の専門員からの助言を得ておくことは間違ったことではないはずです。
――夜は明けるものですが、試されるほどの長い夜があるのも事実です。雨は止むものですが、降って降って降り続く雨があるのも事実です。
けれど必ず、夜が明け雨が止むのも事実です。
私の妻も5月に統合失調症で3度目の保護入院になりました。(1回目と2回目は結婚前だったので私自身は初めての経験です)
返信削除医者からは、なるべく面会しないでそっとしておいてほしいとお願いされていたので、6月末からいっぺんも会っておらず、今日、1ヶ月半ぶりに面会してきました。
6月末から今日までの間に、隔離や拘束を繰り返して、今月頭からようやく隔離を解かれたようです。その間に薬も入院前から飲んでいた抗精神病薬に加えてウインタミンを処方されているようです。
久しぶりに会ってみると、最後に会ったときに比べて格段に穏やかになっていたので、ほっとしました。
何より、私が病室に入っていっても、前の面会のように目を輝かせたり歓声を上げたりせず、寝起きのようにボーッとしたままいてくれたのが安心でした。
今でも夕方になると頭の中がざわざわするそうですが、私が見たときのようなボーッとした状態が一日中続いてくれれば、遠からず退院へ向けて動き出すのかなあ、と期待を抱くに至りました。
3月に長女を出産し、その後、初めての子育てに追い立てられて、神経を休める時間が持てないまま今回の入院になってしまったことを考えると、ウインタミンの力も借りてか、ちゃんと休まってくれているのは、良い兆しなんだろうなあと思いました。
妻の実家の人たちは週2回ぐらい足繁く様子を見に行っていたようですが、そこで一進一退ぶりをつぶさに見ていたせいか、私のように、1か月半ぶりに見たら格段に穏やかになっていた、ということには気づかなかったようです。
(また、私自身が鬱病のため、薬の力でボーッとして寝転がっているときに一番質の良い休養が取れたという経験が、今回の私の安心感につながったのかもしれません)
主様も、先週と比べてどうというより、もっと長い目で奥様の回復ぶりを見てあげるようにしてみてはいかがでしょうか。きっと、大きな流れでは快方に向かっていることを感じられるようになると思います。
仰るとおりです。短期の乱高下ではなく長期の緩やかな回復基調に意識を向けることが大切です。
削除〝大きな流れでは……〟と考えることは、我々の立場の者が忘れてはならないことであり、それはつまり希望を捨てぬことでもあります。