統合失調症の症状への対応、抗精神病薬の副作用、精神科医との信頼関係、患者との関係性……。患者を支える家族の悩みは深く長期間に及びます。このブログは、妻の医療保護入院による夫の感情体験を書籍化後、支える家族にとっての精神疾患について、感じること考えることをテーマに更新しています。
著書 統合失調症 愛と憎しみの向こう側
患者家族の感情的混乱について書き下ろした本です(パソコン、スマートフォンなどで読むことのできる電子書籍)ブログ〝知情意〟は、この本に描いた体験を土台に更新されています
このブログについて | 記事一覧

スポンサードリンク

統合失調症の母親と子供心

統合失調症の患者数は約80万人程度と推計されている(厚労省データ)
とはいえ、約80万人の内訳は通院・入院中、つまり治療中患者を統計化したものだ。

いっぽう、統合失調症の有病率は人口の1パーセント弱であるという視点にたてば、おのずと未治療の統合失調症患者の存在が加算されてくる。
すると、治療中・未治療にかかわらず統合失調症患者はおよそ100万人規模にのぼる。

治療中・未治療を問わず、100万人規模の統合失調症患者――。
〝扶養されて支援を受けている〟印象が先行する当事者像ではあるが、子供をもつ統合失調症患者の数は思いの外、多い。
つまり〝親が統合失調症〟であるケースが思いの外、多いということだ。
さらに統合失調症に限定せず、精神疾患を患う親の子供は?と考えれば思いの外……といったレベルではなく〝相当多い〟事実が浮かび上がるはずだ。
にもかかわらず〝自分たちをのぞく他の親の精神的健康情報〟に触れた経験はない。患者数という数字だけを追えば、自分の子供たちと同じ学校に通わせる親御さんの中には、自分たちと同じような問題を抱えている人がいそうなものだが……。

ここで言う〝子供〟というのは、いわゆる小中高生にあたる年齢層を指すのだが、例えば、居住区の小学校に通う子供たちの内、想像以上の子供たちの親が精神疾患を抱えている? と聞かされてもピントこないのが実際のところだと思う。
なぜだろう?
そのひとつの答えは、家庭の問題を子供たちが持ち出さないからであり、外側から見えないからである。もう少し言うと、持ち出してはいけない、見えてはいけない、先生に触れられてはいけない……と、子供たちの条件反射が出来上がっているのではないか?

かく言う僕の子供も,母親のことについて口外してはならないという誰に教えられたでもない大人への振る舞いを身につけていた。
ちなみに、大人とは具体的に学校の先生にあたる。
すなわち、友達関係のことで担任の先生に悩みをもらすことがあっても、家のこと母親のことを先生に相談することはしない。いや、してはいけないことだと子供は自らに言い聞かせていたのだろう。
だからといって、僕は病気の問題を先生に言ってはいけないよと言い聞かせたことはない。
それにもかかわらず、子供は主体的に問題を隠そうとするところに問題の本質があるのだと思う。
子供は親の言うことよりも行動をじっと見て、考え学ぶ。
それならば、父親である僕がかもし出す、妻が精神疾患で閉鎖病棟にいることの内なる偏見と孤立感は、言葉ではなく行動として我が子にしみこんでいったとでも言おうか……。


何かおかしい…友達の家とはちがう…。大人の、いや、病状の顔色をうかがいながら育つ子供は、なぜおかしいのか?と考えることを避ける大人をじっと見ながら、語ってはいけない問題なのだと心に刻んできたのだろう。
繰り返しになるが、子供とは大人の言葉ではなく行動から見て感じ学ぶ生き物だ。だからこそ、言葉無く理由無くうす暗い問題にフタをしようとする大人の行動は、子供にとって真実の事実なのだ。
そうして、大人側の〝内なる偏見は〟子供の心にも〝内なる偏見〟を宿す……。
一度でもフタをしてしまうとフタをかぶせ続けるしかない怖さがそこにある。
他方、フタをするしかない精神病の薄暗さも両立する。
家族の苦しみとはそこにある。

患者家族は、ときに患者以上に苦悩する。
この気持ちは、いちばんつらいのは精神症状に苦しんでいる当事者なんだという認識があるからこそ持つ気持ちだ。
僕は配偶者として夫として、妻の統合失調症に苦悩した。
疾患そのもの以上に、精神疾患特有の社会的問題と支援者間の人間関係に日々さいなまれた。だが、僕は苦悩する原因を理解していた。それが子供たちと決定的に違った点である。そう、子供たちは〝毎日がゆううつなんだけど理由がよくわからない〟と、そんな不思議な苦しみを来る日も来る日も味わっていた。
健常者の親を持つ友達が夢中になってはしゃげる会話も、なぜだか夢中にはなれない。
家に帰るのは億劫だけれど、学校の帰り道、ゆううつな胸の内を友だちには言わない、言えない。
とはいえ、僕は子供に対してなにも隠さないと決めていたから子供ながらにある程度の知識はあったかもしれない。だからこそ、友人や先生に口外することを自らに禁じたのか? あるいは、まとまりのない母親の言動の仕組みが少しでもわかるからこそ、笑顔を忘れ、人の顔色をうかがう成長期を過ごすほかなかったのか……。
じゃあ、どうすれば良かったんだ? と考え出せばまた暗い気持ちに沈んでしまう自分がいる。

余談だが精神的健康情報ではないこと、つまり、子供の友人の親御さんが精神疾患以外のご病気である場合は、案外、井戸端的に流れ聞く経験は多かった。
「――ちゃんのママ、――病なんだって」
人に言える病気は、子供たちを介して〝心配〟として聞き伝う。
人に言えない病気は、〝偏見〟として誰もが介すことをしない。
そんな気がしないでもない……。


そうは言っても子供は子供。
家庭に問題があるのなら、閉ざした胸中にアプローチするのが学校や先生の努めではないか?という声もあるかもしれない。
けれど、精神疾患を原因とする家庭問題に学校が口をはさむケースは希ではないだろうか。なぜなら学校にとっても、それは触れぬことが無難な問題であるはずだから。
なぜ、触れてはいけないのか? おそらく、学校や先生にも根拠はないと思う。だがしかし、偏見とはそういうものだ……。根拠がないからこそ偏見というのだ。
〝内なる偏見〟は学校や先生にもある……。


ところで、精神的な問題を包み隠さず公開できる場と言えば、まさに病院である。
通院している精神科や主治医。患者や家族が、彼らに対して偏見がどうのこうのと考えることはまずないだろう。他者には知られたくない精神的な病像や日常問題について、治療という根拠と医療という信頼に守られてすべてを明かす当事者や家族。治療者とは、彼らをもっとも近い距離で支援してくれる人たちだ。
しかし…である。
ほとんどの場合、主治医は患者を診るのであって患者の子供には関与しない。患者の服薬や睡眠の状況聴取を軸に、次回の来院までの処方を指示して診察は終了するのが通常であり、さらなる診察時間をさいて「お子さんはなにか問題を抱えてはいませんか?」なんてことを聞く主治医はそう多くないはずである。
逆に「ちょっと子供のことで…」と打ち明けたとしても児童精神は専門外なので――なんて返してくる主治医が相手なら身もふたもないだろう。


統合失調症に限らずとも、精神疾患の親と暮らす子供は誰に? 何に? 支えられるのだろうか。
自分に支えられて育った?
そんな、誰もが怒りと悲しみを打ち負かすような強い子供ばかりではない。
友だちに後ろ指を指され「――ちゃんのママは何の病気?」と、相手の親の関心を代弁するような友だちをに対して、無言を返すことが母への誠意だと貫いた我が娘は、強いようで弱い子だったはずだ。
学校でそのようなエピソードがあれば、翌日には決まって頭かお腹が痛くなった我が娘を前に、無力さだけが際立った父親としての僕。
我が娘の小さな心は誰に? 何に? 支えられていたのだろうか。
僕は思う。
それは統合失調症の母だったと。僕のようにあきらめや邪念を振り払いながら希望にしがみつくのではなく、ただひたすらに母の回復を望んだ子供心は尊い。
目を覆い耳をふさぐ母の醜態を目の当たりにした少女が折った千羽の鶴が希望に向かい羽ばたいた時、少女は思ったはずだ。
やっぱりママが大好きだと。



この記事に投票する➡ にほんブログ村 人気ブログランキング

  • ?±??G???g???[?d????u?b?N?}?[?N???A

14 件のコメント:

  1. なみだが止まりません。
    何だか気持ちが救われました。ありがとうございました。

    返信削除
  2. 涙が出てしまいました。
    私の母親も統合失調症で、子供の頃入院していました。父も母親の病気について話さなかったため、暗黙の了解として母の病気については口にしない、してはいけないと思い込んでいました。
    その頃の一番の願いは、母の笑顔が見たいということでした。それは大人になった今でも変わりません。父と出会った頃は笑顔の素敵な女性だったと聞かされたことがあります。
    子供が親の愛情を感じるのは、自分に向けられた笑顔や優しく触れられた時です。
    残念ながら、外で働いてお金を稼いでくれてることや、背中を向けて家事をこなしている姿では愛情に気づきません。
    私も親に愛されていないと感じていました。そして、母への愛情が憎しみに変わってしまいました。相反する感情にどうしていいか分からなくなることもあります。
    何よりも家族みんなで支え合って、そして愛情を持って接することを忘れないでほしいと思います。
    どうか家族を守ってあげて下さい。

    返信削除
    返信
    1. 暗黙の了解、それが精神病問題を抱えた家族が共通して背負うやるせなさ。もともとは笑顔のすてきな女性だった、それが精神病がもたらす悲しみ。愛情が憎しみに変わる、それが精神病が我々に試す試練。
      統合失調症は様々な問題を家族の心に投げかけます。
      「病を憎んで人を恨まず」
      それは言うには簡単です。けれど心根で理解するには時間を要するはずです。
      精神病が関係者の人生に及ぼす問題の深さが、そこにあるのだと思います。

      削除
  3. 切ないですね。私も10才で発症した母を周りには言えませんでした。
    だだ元々もっていたアトピー性皮膚炎が酷く悪化したのを覚えています。学校から帰ると母の側に寄り添いご飯を食べさせてたのを覚えています。
    母はその事すら覚えてなかったですが…その時の学校の担任は私がいつも疲れてる態度をとると親に告げ酷く親に怒られたのを覚えてます。何故今頃になってこんなにあの頃の事を思いだすのか自分でも不思議です。20代や30代は怒りを含んだ苦しみだったんですが最近は傍観者の様です。母の年を超えたからでしょうか?

    返信削除
    返信
    1. 時間は怒りと苦しみを変えてくれるのでしょうか……?そうかもしれません。そうであってほしいとも思います。
      精神疾患の母親に育てられた子どもは成長して大人になって、自分の親をどのようにジャッジするのか?
      病者にも支える者にも、精神疾患は課せられた謎に答えを出すのに長い長い時間を必要とさせる病気だと思います。

      削除
  4. はじめまして。
    何度かお邪魔しているのですが、初めてコメントします。

    「ママが好き」そう思える娘さんがとてもうらやましいです。
    私の母も統合失調症でした。(それプラス躁うつ病とのこと)
    今30代になりましたが、母の病名を正確に知ったのは大学生の時でした。
    父は母の病気のことを子どもには話さない人だったので、
    精神的な病気だという事、他の家庭とは違うという事はわかりましたが、
    よくわからず・・・
    父の世代的に、そういう病気への理解があまりなかったのでしょうね。
    ただ、離婚するという選択肢も父にはなかったようです。
    (親戚や周りからは言われていたようですが)
    母は結婚してそれほど立たないうちに悪くなったのか、
    私が物心ついたころには考え方が理解できない感じで、
    入院も10回以上、措置入院も何度かありました。
    なので、あまり母との良い思い出もないまま育ってしまったせいか、
    幼いころは親に認めてもらいたいという感情がありましたが、
    中学生ぐらいになると自分のことはすべて自分でする、
    悩み事などを誰かに相談することなく自分で決めるという環境だったため、
    母に対する思いは微妙です。
    病気になって本人が一番大変だという事も理解できるので、
    切り離せもしないけれど、受け入れもできない・・・
    そんな環境で育ったので、弟は母を完全拒絶、
    私だけが両親の心配をするという感じです。
    幼いころの母からの暴力のせいか、いまだに母に対する恐怖も消えません。
    今の私は・・・自分が子供を育てるという事が想像できません。
    理想の家族像はあるものの、自分が親になる想像ができないのです。
    子どもはとても好きなのですが、母のように暴力や暴言、
    それらをしないという保証はないので不安になります。
    精神疾患を患う子どもたちへの何かしらのケアが、
    将来的には行われるといいなと思います。。。

    返信削除
    返信
    1. 親の精神症状によって、いつも大人の顔色をうかがいながら生きるこどもたち。我々は、そのような子供たちを傍観していてはダメだと思います。仕組みとしての子どものケアが皆無だとは言いませんが、まだまだ、まだまだ不足ではないでしょうか。その家の中で何が起こっているのか?その問題は一生をかけて引きずるしかない薄暗い問題である場合が多い。けれど、今までも、これからも、精神病の発症率が一定である以上、悲しみを背負う子どもも同率です。
      一方、家族研究は盛んです。学術的な家族研究は十年前と比較してずいぶん目に触れるようになったのでは?と思います。
      けれど……問題は現場にあり。だと思います。研究とアクションがもっと多角的に広範地域的にリンクすれば良いなと思います。もちろん、体験者の体験力も、現場の問題解決には大きな力です。

      削除
  5. 親子の葛藤は複雑です。疾患を持ってない親がどれだけ周りから守ってあげれるかじゃないでしょうか?遺伝性の強い疾患でも子供は問題ないケースも多いのに遺伝性うんぬんで誤解されやすい。 また母親が親として機能出来ない辛さやゆがみを父親が全て負う事などできません。
    現に私の父親は未成年の子供を捨てましたから。時間がかかっても解決できれば未来も希望もあるでしょうが、そうじゃないケースが殆どです。

    返信削除
  6. はじめまして。私も10歳頃に母が発症し、正直両親を恨んだ時期もありましたが、有難いことに少なからず「話せる」大人や友人がいたこと、結婚し家庭を持ったことで両親のことを理解し、受け止めることが出来るようになってきました。
    今日ちょうど家族で母のことで話し合い、「医療保護入院に踏み切ろう」ということになりました。これからどうなるか分かりませんが、気長に構えて向き合っていけたらと思っています。

    どの記事を拝見しても、皆さまのコメントにひとつひとつ丁寧に返信なさっていて、本当に頭の下がる想いです。どうかご自身も無理なさらず、ご自愛くださいね。それでは、長々と失礼いたしました。

    返信削除
  7. 私の両親は母の発症後、離婚しました。私は当時7歳で何も分かりませんでした。それからは母と二人で14歳まで生活しました。
    発症当時は落ち着いていたのですが、私が小学5,6年になる頃重症化しました。母からの虐待、学校でのいじめ、借りていたアパートの部屋はゴミで溢れ返っていました。
    毎日が必死でした、学校を普通に行くという事を維持するのに精一杯でした。
    それでも友人や先生に相談するなどまったく考えていませんでした。近くに住む祖母にさえ言いませんでした。
    祖母に相談して事が公になった時、私自身が施設に入れられ捨てられると恐れていたからです。当時の私は誰も信じていなかったのだと思います。
    その後、連絡がとれない事に祖母が疑問を抱き、学校帰りの私を待って声をかけてくれた時にやっと現状を打ち明けました。
    あの時、祖母が来てくれなかったら私も母もどうなっていたか分かりません。

    この病気を抱えながら子育てをする事はとても大変なことだと思います。周りにいる父親や親戚が病気を軽視することなく、支えることが大切だと思います。そしてちゃんと子供にどんな状況なのか説明してあげることが必要だと思います。
    私は何も知らされず育った為、両親から見捨てられた子供だと長い間思っていました。

    現在、私は30代になり私が母の世話をしています。今でも、子供の頃経験した恐怖心がふと蘇ることがありますが、母は一人で病気を抱えながら私を育ててくれた事が分かったので母に対する恐怖心よりも感謝の気持ちが大きくなりました。

    この病気をもっと深く理解してくれる人が一人でも多く増えることを願っています。

    返信削除
    返信
    1. 統合失調症である母親の子育てには、周囲の支えが必要不可欠です。
      言い換えれば、周囲のサポートがなければ子育てなんてできないはずです。子育てとはそんな簡単なものじゃない……


      かつ、周囲のサポートと言っても誰でも良いわけでもありません。まずは家族の愛情、そして医療や福祉のスキル的な力。これらが相乗することによって育てられる子供の人生が右にも左にもいくといっても過言ではないと思うのです。

      家庭という密室で、人でありながら精神病者である母親と過ごす幼少期に得た負の感情は、大人になってからもその子の人生にこだまするでしょう……

      けれど、適切な大人たちの支援環境のもとで育った子供は、大人になって事実を振り返ったときに、負を正に変える〝生きる力〟を宿すはずです。

      統合失調症。それは、人が人らしく生きる、この至極あたりまえの行為を総崩しにしてしまう精神病です。

      それゆえに、この病気を〝理解する〟ことは難しいことです。理解した気持ちになることは簡単ですが……

      さあ! あなたもご自身の辛く暗かった体験を軸に本当の意味で統合失調症を理解した人のひとりです。

      とても広い意味にはなりますが、これから問題に直面する人々にとって、あなたの経験は力となるはずです。

      削除
    2. 返信ありがとうございます。
      自分の過去について家族以外の方に打ち明けたのはこちらが初めてで、コメントを残すのに緊張していたのですが、力強い励ましのお言葉を頂いて、とても嬉しかったです。

      まだまだ日々悩む事苦しいと思う事ばかりですが、一つ一つ積み重ねて努力していこうと思います。

      貴重なお時間を割いていただいて、本当にありがとうございました。

      削除
  8. 精神病の親を持つ子供のケアについて活動したいです。私自身もう大人ですが、親が精神障害者で、学生時代は友達にも先生にも言えませんでした。

    返信削除
  9. 私の娘は、来年小学校に上がります。
    今年、ほとんど意思の疎通ができなくなってしまった妻を医療保護入院させて、病院から娘と2人だけで帰ってきた翌日、「字が書けるようになったんだよ!」と言いながら家のホワイトボードに娘が書いた言葉は、
    「わたしは、ぱぱとままがだいすき」
    でした。
    号泣しました。
    自分の家庭は、精神病という影の部分が濃い分、光をより眩しく感じられたのかもしれないな。
    そう感じました。
    妻が退院してきてからは、家族揃って光の方を向いて生きていきたいと思っています。
    娘が、母親のハンディキャップを理由にして、自分の人生を諦めてしまうことがないように夫婦2人で暖かく見守っていくつもりです。

    返信削除

最近のコメント


ご意見、ご連絡はこちらから

名前

メール *

メッセージ *

Copyright (C) 2013-2016 copyrights.知情意 All Rights Reserved.