統合失調症の症状への対応、抗精神病薬の副作用、精神科医との信頼関係、患者との関係性……。患者を支える家族の悩みは深く長期間に及びます。このブログは、妻の医療保護入院による夫の感情体験を書籍化後、支える家族にとっての精神疾患について、感じること考えることをテーマに更新しています。
著書 統合失調症 愛と憎しみの向こう側
患者家族の感情的混乱について書き下ろした本です(パソコン、スマートフォンなどで読むことのできる電子書籍)ブログ〝知情意〟は、この本に描いた体験を土台に更新されています
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幻聴の再発と妻の寝言

妻の寝言に幻聴の再発を危惧してしまうことがある――。

寝言なんて誰にでも起こりうるものだと言えばそうなる。
そういう僕だって、睡眠中にムニャムニャと発語しているかもしれない。もっとも、自分自身の寝言を自ら確認することは単独ではむつかしいことだが。
ともあれ、昨夜はずいぶん寝言が多かったと……たとえ他人から聞かされたとしても僕なら〝たかが寝言、少し疲労がたまっているだけだろう〟と片付けてしまうにちがいないだろう。

ところで、睡眠中の様子を他人から聞かされる機会と言うが、およそ夫婦間に限られる場合が多かろう。
僕が寝言を言うのか言わないのかという話題はさておき、妻の寝言に遭遇する機会がしばしばある。
余談だが、もともと入眠には苦労しないタイプの僕は、妻が統合失調症を発症して以来スヤスヤと眠りこけているようでありながら感覚的にピクンとすれば目を覚ますことができるタイプに変わった。
犬のような眠り方ができるといえばわかりやすいだろうか?
つまり、夫婦が互いに健常者であった時にはなかった〝異変への身構え〟が体の芯に植え付けられたのだろう。

話を戻そう。妻の寝言に遭遇したとき、僕はビクッと反応して心がザワザワする。
なぜなら、寝言が病的体験と直結してしまうからだ。すなわち、それは幻聴との対話ではないかと心配してしまうのだ。
ざわつく心の中で、僕は〝再発〟を警戒するかのように寝言は単に寝言なのか? それとも、また何かよからぬ幻聴が聞こえているのか? と勘ぐり始める。
そうして、寝言を聞いた前日の生活態度や日常の出来事から受ける刺激の有無などをグルリと評価しながら〝つまり調子を崩してはいないか?〟と考えるわけだ。
もちろん、僕の勘ぐりが彼女に伝われば不必要な不安をあおることになるので、決してそれが伝わらないように内緒で心をざわつかせるのだが……。

過敏? かもしれない。
だが、初めて目の当たりにした妻の幻聴、空笑――家族として〝もう少し様子をみよう〟と甘く考えたばかりに光と影の両面を持つ精神医療の〝影〟にアクセスしてしまった経緯を振り返れば、少々の過敏さも必要だろうと納得している。

人生に〝もしも〟は禁句だろう。けれど、やはり考えてしまう時が、ある。もし……初動が違っていれば、医療保護入院の保護者として、妻に医療格差を経験させずにすんだかもしれない。
妻にはつらい思いをさせてしまった。――とする罪悪感に振れる気持ちは、時間の流れに助けられるようにして薄まりつつはあるが、それがゼロとなり消失しない感情であることは誰よりも自分が知っている。

ただし、幻聴や独語の表出によって状態の緊急度を推し量るには個人差があることは言うまでもない。
一日、なんどか幻聴を聞きながらも日常性にしてしまうことで疾患と共存している=病気とうまく付き合う当事者もいるだろう。反面、病的体験がドーッとあふれでる時期とスーッと引いてしまう時期が組み合うタイプの当事者もいるだろう。だから、諸症状の負担度は人によってちがうはずだ。
おそらく、妻の場合は後者に近い。そしてあふれ出るスピードは速い。つまり個別性を持ち出せば、彼女の状態に〝もうダメだ〟と僕が直感したときの初動は重要なのだ。
だから〝もう少し様子をみよう〟は、僕らにはあまり向かない。

そのせいか、もう寛解期なのだから寝言なんて〝ささいな違和感〟でしかないと無頓着にかたづけておくことが僕にはできないのだ。たとえば、寝言ではなくとも「なんだか悪い夢をみたようでうなされた」と妻に訴えられれば、「大丈夫、悪い夢を見るときだってあるよ」と返しつつ、内心は生理現象としての夢と精神疾患の病的体験がごっちゃになって僕の心を身構えさせる。

睡眠には苦労しないはずだった僕が、妻の寝言に犬のように聞き耳を立てられる人になったことには二つの理由がある。それは覚悟と罪悪感である。
覚悟とは、根治無き疾患であるためにたとえ予後がすこぶる安定していても再発して悪くなってしまう可能性を曖昧にしてはいけないと肝に銘じているところにある。
罪悪感とは、個別性を半ば一般論にすり替えながら初動を見誤ったことで彼女に辛い思いをさせてしまったかもしれない自責の念だ。

このとおり、たかだか配偶者の寝言を何げなく見過ごせない僕ではあるが、それでもなお、大過なく過ごせることの喜びに包まれる今があるのは……精神医療の光と運命の神様に支えられているからとでもしておこうか。



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