電気けいれん療法を施術される統合失調症患者を見守る家族の〝感情〟
そこに様々な思いがあって希望が存在する。
なにをどれだけ服用しても改善せぬ精神症状に対し、最後の手段的に用いられる施術はいまだに賛否が問われるそうだ。
それもそのはず、こめかみに電極を当て100ボルトの電流を流す行為が人に与える印象には忌まわしい印象がつきまとう。
もっとも、全身麻酔を施し専用の処置室で安全性を保ったまま行われる現代の電気けいれん療法は〝昔の電気ショック〟とは別物ではあるが、患者家族の誰もが気重な感情を抱くのはやはり、効果の根拠と結果の不確かさだろう。
相当古くから行われてきた施術であるらしいのに、案外、なぜ効くかの理由がよくわかっていない。
脳に電流を流し、脳細胞にけいれん発作を起こさせた結果、健忘つまり記憶が消えてしまうリスクがある。
そしてなによりも、重い精神症状がなにをしても改善されなかったり強い希死念慮を鎮めるためにと……最後の方法として位置づけられていることは家族感情をとても混乱させるものだ。
とは言え、現代の電気けいれん療法(ECT)はある意味で薬物療法の重篤な副作用よりも安全である場合もある。抗精神病薬を増やさなければ精神症状が抑えられない一方で、処方量を減らさなければ身体的に重い副作用が出現してしまう妻に対して僕の同意ひとつで精神症状が和らぎ〝希望〟のしっぽをつかめるのなら…とする、自らの感情体験は拙著「統合失調症 愛と憎しみの向こう側」に記したとおりである。
その結果、結果論としてものの見事に状況は変わった。同時に、結果は個性的であり同じ状況なら誰もが望ましい結果にいたる方法かと言うと誰も答えられないであろうが電気けいれん療法なのだと思う。
医学的、精神医学的にどうかという視点ではなく、家族感情的にどうか?という視点で電気けいれん療法を考えてみる。ここに〝~に比べたら〟の論理は無用だ。
結論は単純、恐怖と不安だ。
こめかみの毛をそり落とし、そこに電極を当てる。そして100ボルトの電流が脳に流れる。このことをイメージして平気でいられる患者家族はどこにいるだろう……。
さて、映画〝ビューティフル・マインド〟のモデルとなったアメリカの数学者ジョン・ナッシュが5月23日、交通事故により亡くなった。
乗っていたタクシーが交通事故を起こし同乗していた妻のアリシアさんと共に亡くなられた――お二人には心より冥福を祈りたい。
ビューティフルマインドは、統合失調症であるジョン・ナッシュの半生を描いた作品である。そして、妻が医療保護入院となる以前に鑑賞していた映画。
作品は統合失調症当事者の半生がメインテーマではあるが、患者家族の立場である僕にはどんなときも愛と希望を捨てることなく寄り添ったアリシアさんの描写がより印象的だったことは事実だ。
統合失調症の患者家族であることの苦悩と憤りはいつもいつも愛を試す。けれど、愛も希望も捨てぬ理由はなんだったのだろう……?
それらの感情体験が自分に照らされるように共感を覚えた。
実話とは言うものの映画、臨場感や演出効果が効いているのは当然の話であるが、作中には電気ショックのシーンがある。
最後の手段として電気ショックを与える光景に妻のアリシアは嗚咽する。夫を支え続けてきた、言葉にできぬ疲弊と混乱の先に見た〝その光景〟は罪でさえあったはずだ。
時代も違う、国も違う、映画の演出効果もある。だとしても、愛する人の脳に電流が流れる光景に底知れぬ不安が高まる感情は同じである。
どこからともなくわき上がる罪悪感情と悲しみ、希望への執着感情と祈りは誰もが共感するものだろう。
重篤な精神症状を背負う当事者に寄り添う〝祈り〟は尊いのだ。
喜びも悲しみも苦しみも……いつもいっしょに寄り添い合った夫婦。
天国に行くのも一緒だなんて、演出抜きでドラマティックな二人である。

著書 統合失調症 愛と憎しみの向こう側
患者家族の感情的混乱について書き下ろした本です(パソコン、スマートフォンなどで読むことのできる電子書籍)ブログ〝知情意〟は、この本に描いた体験を土台に更新されています
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はじめまして。約3年前に中学2年生だった娘が発症してから、いつもこちらのブログを読み、励まされてきました。
返信削除早生まれのため、年齢では13歳で、当時の入院していた中では最年少でした。親の転勤に伴い転校した先の中学の思い出はほとんどが病院となり、転校前との違いすぎる日々に本人も家族も長く耐え、現状に慣れ、高校受験を受けることはできず、通信制の高校に入学、今では勉強の遅れは取り戻せず、本人が望む中学時代に行けなかった修学旅行に行きたい、友達ができて学校には休まず行くという、発症したころからは考えられないホッとできた高校時代が過ぎています。
が、幻聴はなくならず、時々どうか落ち着いてと祈るような状態になることがあり、薬は効いていないまま継続、学校に行けていることを優先して卒業後に違う方法を考えていきましょうとしていたのですが、ここ1か月、将来への不安や学業ができていないことの焦り、孤独感、副作用もある体重が以前に比べて倍になってしまったことなど、年頃の女の子として自信が持てることがないことから調子がすぐれず、電気治療をすぐにしたいと言い出したのでした。
薬が効かなくても、しょうがない、日常生活が送れるかどうかだと諦めていたに近い私だったので、実際に自分の娘が電気治療をするということの覚悟ができず、今もなんとも言えない状態です。治らない、長く、娘の勉強や生活に期待しないように、これで十分だと思おうとしてきたからかもしれません。
発症して約1年後の冬、娘の調子がいいと思っていて私が外出した時、2階の窓から飛び降りた経験があります。あの時の、自分の子供が生きていたくないと思う人生になってしまったという絶望、悲しみを、二度と経験したくない、あのときの辛さに比べたら、今日の娘は大丈夫だ、と思うようにして乗り越えてきてしまったと思います。
今、本人は前向きですが、1度先生に説明してもらったときに、副作用のことが怖く、二度と入院は嫌だと言っていた入院していた時の寂しさも感じていると思います。次の診察で、具体的にいつ始めるかなどはっきり決まるのですが。。。
今さらですが、私の希望は、幻聴幻覚がなくなってほしい。もしそうなったら奇跡くらいの感覚でいるので、電気治療で効果があった、なかったの様子が想像できません。
とりとめなくなってしまいました。年明け早々、申し訳ありません。久しぶりに統合失調症に向き合うにあたり、ますます岩崎さんのブログを新しい感覚で頼らせていただくことになると思います。よろしくおねがいいたします。
コメント文章を拝読しますと、親御さんが疲弊と哀しみを背負って娘さんを介護されてきた道のりが感じられます。
削除短い文章だけれど、深い深い気持ちの闇の中を過ごしてこられたのは同じ患者家族として反射的に感じました。
辛かったでしょう?
辛くないわけがありません。
僕もいっそ、それならみんなで消えてしまえばいいじゃないか?と幾度か思いました。
支える家族は大なり小なり、みんなそういう薄暗い絶望を背負って生きてるんですよね。
そして、絶望は覚悟と紙一重で家族をいつも試す。
ECTは精神科医でさえ「どうして効くのかを理論的に説明できない」とします。根拠はないけれど、戦前から施行されてきた治療方法で現在も淘汰されないのはやはりそれなりに効果が実在するからだと。
現に、私の妻もこれで生き返った部類に入ります。
けれど、じゃあ、他の人も同列で効果をうたえるのか?となれば個人差大いにあり!ですよね。
良かったら、コメントされる方のECT体験談を情報として寄せていただければ僕は逐一アップしますし、他の方々の情報と勇気に変わるであろうと思います。
娘様の奇跡を!僕も一緒にお祈り申し上げます。
それが同じ患者家族としてできる「和」だと思います。
エールを贈ります。ガンバってください!
その後、約1か月入院し、ECT治療を5回やりましたが、効果なく、本人が2度目からひどく嫌がったため、任意入院でもあったので、病院側としては、本人が拒否した場合、無理に進めることはできない、このまま続けて効果があるかもしれないとしか言えないと言われ、学校に行きたいという娘に休んでまで効果がある可能性が低い入院はいらないと判断、あっけなく、むなしく、また、治らない、一生向き合うしかない、と、がっかり、時間と治療費も正直、無駄だったと落胆している次第です。ECTの回数、内容、効果の基準というか、なんだか曖昧なままです・・・。
削除そうだったんですね…‥
削除ECTが脳のどこにどう作用するから効くといった根拠はないままで現代でも実施されていることからも、私たちの場合も効果には個人差が非常に大きく現れると説明を受けました。
結果として、私たちには恩恵を受けたECTであったとしても他患者には同列で比較することは困難かもしれません。
おしゃられるとおり、ECTの治療内容や効果の基準には曖昧さがまとわりつきますし、誰にでも効果が見込める切り札的な治療方法でもないでしょう。
ここで落胆するお気持ちは察しますが、患者家族として心の整理をつけてから、今一度、新たな回復策を練られることを祈ります。我々、統合失調症の患者家族は絶望に抱かれながらも、僅かな可能性を模索して希望を捨ててはいけないと思います。