統合失調症の症状への対応、抗精神病薬の副作用、精神科医との信頼関係、患者との関係性……。患者を支える家族の悩みは深く長期間に及びます。このブログは、妻の医療保護入院による夫の感情体験を書籍化後、支える家族にとっての精神疾患について、感じること考えることをテーマに更新しています。
著書 統合失調症 愛と憎しみの向こう側
患者家族の感情的混乱について書き下ろした本です(パソコン、スマートフォンなどで読むことのできる電子書籍)ブログ〝知情意〟は、この本に描いた体験を土台に更新されています
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精神保健指定医の存在意義 精神科医が必要とするものと当事者が求めるもの


精神保健指定医の重み

精神保健指定医という名称を知ったのは妻が医療保護入院となった際、入院加療計画書という文書を目にした時が最初だった。
入院加療計画書には、医療保護入院をしなければならぬ理由とその措置が必要であると判断した精神科医の氏名が署名捺印されていた。
そして、署名捺印の左側には〝精神保健指定医〟と記されていた。


精神保健指定医とは上級の精神科医? とそんな程度の印象だったことは事実だ。
精神保健指定医とは精神医学の専門家であり権威。そして、統合失調症の重症患者であればあるほどこの肩書きを持った精神科医に全てをまかすことで絶望は希望に変わるのだとおぼろげに感じ取っていた。

ところが、精神保健指定医という肩書きは重みではなく〝軽〟へと見下すような、それはある意味で患者家族としては非常におろかな心情に変化してしてしまったことも事実である。
つまり、患者と精神科医と家族で形成される三角形の信頼関係がどこもかしこも寸断されてしまった頃、精神科医に不信を募らせた挙げ句に〝そんなに面倒だと言うのなら医者なんてやめてしまえ〟と心の中で吠えたのだ。
加えて、重症の統合失調症患者を医療者の使命として回復させようとするのではなく、薬物療法の効果が顕著に現れる患者にはそれなりの対応であっても、なにをどれだけ飲んでも薬が効かず医療スタッフをイライラさせてしまうような患者であれば、医療保護入院ではなく保護業務の範ちゅうでしか接しない精神科病院。
薬が効かないのだから何年隔離したとしてもしかたのないことだと言い切る精神病院なんてつぶれてしまえばいいと吠えた。

患者と精神医療の関係とはなんだろう?

少し精神医療の分野から離れ、広く医療というカテゴリを見渡してみたい。
医者と患者。病院と患者。
冷めた言い方をすれば、どっちにしても互いの人生に互いは関係の無い者同士、かもしれない。
と言うのも、治療がうまくいかずに患者が望まぬ経過をたどれども、医者が傷つくわけではないからだ。
痛みや苦しみは患者の持ち物であり医者の持ち物ではない…。
決してあげつらうわけではなく患者の回復や幸せなんて医師にとっては他人事とも言える。もっとも「患者がどうなろうが他人事だ」と決め込む医師なんてそうざらに存在しないはずだが。

だが本当にそうか?

たしかに苦しみや痛みは〝患者の持ち物〟だ。仮に医療の力で助けてやれぬケースだってあるだろう、いや、そういうケースの方が多いかもしれない。
だとしても医療とは技術と使命で人を救おうとしてくれる。それが医療だ。
だからこそ、患者の苦しみなど他人事と思われていると感じぬのが通常なのだ。そう、それが広く医療というカテゴリを見渡せば想う、患者と医療との間柄ではないか。

ここで話を精神医療に戻そう。
重度の精神病患者の苦しみと人生は精神医療にとって〝他人事〟にはなっていないか?
全てがそうだとは決して言わない。
けれど少なくとも、薬が効かないのだから仕方が無い、医療保護環境に不服があると言うなら家族が自宅に連れて帰って寝ずの介護をできるとでも言うのか?とする精神医療の〝他人事〟に、僕は絶望の海にただひとり漂流していた。
そうして、精神医療とは、保護と福祉の絡み合う特異な世界なのかもしれない。とやるせなさに言い訳する自分が居た。

大学病院での実習風景

これまで、複数の受診機関をチェンジしてきた僕らの場合も大学病院の精神科で診てもらった経験がある。
「大学病院」というこの響き……。
高度な治療技術と治療者、症例研究の成果、とにかく治療を受けるユーザーにしてみれば「大学病院ならなんとかしてくれる」と強い期待を抱くものだろう。
そのような大学病院の精神科に短期間通院していたころ、違和感と言えばそうなる風景を体験したことがあった。
それは若い実習生の見学だった。
たまたま助教授クラスの精神科医が担当医だった診察日のできごと。精神科医を前にして座っていると背後からノック音がする。
入室してきたのは若い実習生が数にして三人。おもむろに僕と妻の側面にパイプ椅子を置くと着座してじっと僕らを見ていた……。
正直、前からでもなく後ろからでもなく真横から複数人に観察されると落ち着かない気持ちにはなるがこの病院が〝研究と教育〟の医療機関であることを鑑みればしかたのない話……ではあるのだろう。
なるほど、大学病院というところは患者の視点では高度な治療機関として目に映るが、治療者側の視点では患者の症例は研究と教育のテーマなのかもしれない。

<聖マリアンナ医大病院 精神保健指定医20人資格取り消し2015/04/15>

このニュース、つまる話は大学病院精神科での〝不正〟である。
精神保健指定医の資格取得に必要な症例レポートについてほとんど関与していないような患者の症例を引用して文書化した医師、その数20人が厚労省によって精神保健指定医の資格を取り消されたという内容。
一度に大量の指定医の資格が取り消されたのは過去に例が無いと言う。

そもそも、精神保健指定医になる要件とはなにか?
精神科での臨床経験3年を含んだ5年以上の臨床経験を有する精神科医であれば、講習の受講とと症例レポートの提出によって指定医としての合否が決まる。その合格率はおよそ50パーセント台。
つまり、精神保健指定医の申請をしようかと考える者の大きな問題は必要な経験症例が出揃うかどうか? に行き着くのだろう。
さらに言い換えれば、合否のカギとなる症例レポートを経験できるかどうか? が、精神保健指定医の資格を取得しようとする精神科医の悩みどころとなるのだから〝経験探し〟はおのずとついて回る課題となるはずだ。
そうなると、経験したくともうまく経験できない症例でありながら資格取得のためにレポートは書かねばならないといった現象が起きるのは非医療者であっても想像のつく範囲だろう。
そのような資格取得の構造の中で起きたこの事件、ほとんど関与していない患者の症例であっても、グループ診療や会議の議題に挙げた症例だったからという理由で〝経験した症例〟として厚生労働省に提出したというのが大筋である。

このことは、外部から見ると不正であっても内部から見ると実情なのか?
それは精神医療の中の人ではない者には定かではないが、この事件をきっかけとして厚生労働省は現在15000人程度存在する精神保健指定医のうち、過去5年間に指定された精神科医の申請書類の真偽について不正がないかの掘り起こし作業を進めるとしている。

どんな業種でもそうだが、その職場に求められる資格というのはたしかにある。
また、必要最低人数の資格保持者がいなければ業務を稼働させておくことができない資格も数多い。
すると、起こりうる現象は資格保持者の頭数をそろえることを優先する現象だ。
資格保持者は職場にとっても業務維持のために必要な人間であり、本人にとっても資格手当や考課基準のポイントともなるだろう。そして、自身のステータスにもつながる。
もちろん精神医療を他の業種業界と安易に比較するのは不毛なことだが、精神科病院にとって指定医の診察は診療報酬が加算されることは事実だ。
きっちりと指定医がそろっているということは安定的な病院経営には不可欠な人材、いや資格であるはずだ。
尚、今回の事件に関与した指定医が外来診療によって上乗せされた診療報酬約170万円は返還すると大学側は発表している。

誰のための精神保健指定医なのか?

自分では診察していないのにあたかも診察したかのような症例レポートを書く。
その理由はひとつ、精神保健指定医の資格取得に合格するため……。
結局、資格とは業務である。
業務オンリーで統合失調症当事者に接する精神科医が多いと風評されるのはなぜだ?
医療に診療科目による格差があってはならないはずだ。その格差を生む源のひとつに、合格さえすれば良いために不正が常態化する構造があるのではないか。

彼らにとって精神疾患患者とはなにか?
統合失調症患者の人生とはなにか?
隔離室の中で壁に体当たりし続けるしかない苦しみとはなにか?
そのようなことを考える時間はあるのだろうか?
ない……ならそれでもかまわないとさえ思う。
だがしかし、医療者として精神症状が引き起こす人間的問題に対峙できる能力を有してほしいと思う。
患者も家族も、病気の前では無力でしかないのだ。
だからこそ精神医療に希望をはかるのだ。だからこそ〝先生〟と呼ぶのだ。
「先生……どうか助けてやってください」
そのひとことに託された当事者と家族の人生は決して軽いものではない。

そもそも、我々は名医の存在を求めているのではない。
良質な研究テーマでもない。
縁があって治療を受けることとなった精神科医のたしかな経験と知識であろう。
その経験と知識は、医療という力となり精神症状に対峙するのではないか?
当たり前の話、医者でもない患者家族には数々の症例を知らないからこそ必要以上に不安になったり疑ってしまう傾向にある。そしてつい、感情的混乱だけが先行してしまうのも重度の統合失調症患者を支える家族の特徴でもある。その混乱を鎮めてくれるのは医療の冷静さとも言えるだろう。

――とかく薄暗い風評にさらされる精神医療。
それを照らすのは「医と法と倫」そして「誠」だ。




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