統合失調症の症状への対応、抗精神病薬の副作用、精神科医との信頼関係、患者との関係性……。患者を支える家族の悩みは深く長期間に及びます。このブログは、妻の医療保護入院による夫の感情体験を書籍化後、支える家族にとっての精神疾患について、感じること考えることをテーマに更新しています。
著書 統合失調症 愛と憎しみの向こう側
患者家族の感情的混乱について書き下ろした本です(パソコン、スマートフォンなどで読むことのできる電子書籍)ブログ〝知情意〟は、この本に描いた体験を土台に更新されています
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統合失調症当事者の社会参加 幸せで安全に暮らす喜び

ノーマライゼーションという言葉がある。
健常者と障害者(精神疾患に限らず)が分け隔てされることなく共存することが正常な社会の在り方であるという考え方で、この思想に基づき心身障害者対策基本法から改正された障害者基本法も制定された。
目的
第一条  この法律は、全ての国民が、障害の有無にかかわらず、等しく基本的人権を享有するかけがえのない個人として尊重されるものであるとの理念にのつとり、全ての国民が、障害の有無によつて分け隔てられることなく、相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会を実現するため、障害者の自立及び社会参加の支援等のための施策に関し、基本原則を定め、及び国、地方公共団体等の責務を明らかにするとともに、障害者の自立及び社会参加の支援等のための施策の基本となる事項を定めること等により、障害者の自立及び社会参加の支援等のための施策を総合的かつ計画的に推進することを目的とする。
定義
 第二条  この法律において、次の各号に掲げる用語の意義は、それぞれ当該各号に定めるところによる。
一  障害者 身体障害、知的障害、精神障害(発達障害を含む。)その他の心身の機能の障害(以下「障害」と総称する。)がある者であつて、障害及び社会的障壁により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にあるものをいう。
二  社会的障壁 障害がある者にとつて日常生活又は社会生活を営む上で障壁となるような社会における事物、制度、慣行、観念その他一切のものをいう。

可能な範囲で障害者の住居、教育、労働、余暇などの生活の条件を障害のない人と同様に近づけるという理念は、個人的ケースに当て嵌めるならば退院後の社会参加の中で負い目を感じることなく暮らしていくことの後ろ盾になればよいと考えたいところだ。そして自分達に対してだけではなく、精神病により日常生活のしづらさを抱える人々が皆、社会の中で安心して幸せに暮らして欲しいと陰ながら願っている。

ある日、退院後すこぶる元気になってきた妻と共に市民プールに出かけた時のことだった。障害者手帳を持っている人は入場券が少し割安になる設定だが、その制度を利用しようとして対応してくれたプール職員の応対に少しシコリが残った。
「障害者手帳を見せてもらえますか?」
「えっ……?」
「――障害者の方はこの障害者用のボタンを押して入場券を買ってください」
決して、職員の対応にクレームを入れたいわけではない。単に、僕自身が職員以上に障害という言葉の響きにわだかまりを感じていただけの話だ。

障害という言葉。
元々は障碍という表記が国語的に障害と置き換えられただけで、いわゆる害に相当する意味は含まれてはいない。だが、世間的に広く浸透している観念としては何処かしらマイナスイメージを含んだものではある。
僕は、社会に対して負い目を感じてしまう言葉のひとつ。
妻は、なんとなく自分と切り離したい言葉のひとつ。
これが僕達の言葉への印象だが、各自治体等の表記を見渡してみても障害と障がいの使い分けはまちまちであるように、言葉の表記が差別や偏見を生み出していると考えるのではなく個人の主義や主張がそれを生み出していると考えるべきなのだろう。だが、「障害者手帳を見せてもらえますか?」が、「福祉手帳を見せてもらえますか?」という表現方法であれば随分と気持ちが楽になるだろうなと思うのは正直な気持ちだ。

定期的な通院の為に病院に訪れると、薬の副作用なのだろうか……前傾姿勢で小股歩きをする人も見かける。しかし入院病棟の中とは違って、社会参加しながら通院している患者さんの外見はおよそ普通の人ばかりではある。
「パパ、あの人も病気に見えないよね」
「うんそうだね」
診察の待ち時間の間に、そのような会話を交わしている僕らも、「普通」に見える内の一人だろう。
だから社会の中では、わざわざ病気ですと発しない限り問題が露出することはないにしても、刺激の宝庫とも思える社会の中で生活を進めていくうえでは普通であることは時にデメリットにもなってしまう。
それは、僕が妻に対して日常生活上どうしても避けられない外からの刺激から守ってやりたいと常に考えているからだ。
例えば家庭への訪問客や地域で接触する対人関係において、普通に見える以上は相手も普通に対応しようとするだろうし、悪意も好意も健常者と同様に身に降りかかることは避けられない。何気ない他人の言動を必要以上に被害的に捉えてしまえば病状にも影響するだろう。そういう意味では退院後の社会参加を進める中、避け切れぬ外部の刺激というものは確かに存在する。

妻が社会の中で偏見を受けてしまう存在であってはならないが、美化されるべき存在でもないことも理解している。
あくまでも普通の人として安全に幸せに暮らして欲しい。
そのことは、何よりも妻にとって生きている喜びに繋がることだと思うのだ。



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