統合失調症の症状への対応、抗精神病薬の副作用、精神科医との信頼関係、患者との関係性……。患者を支える家族の悩みは深く長期間に及びます。このブログは、妻の医療保護入院による夫の感情体験を書籍化後、支える家族にとっての精神疾患について、感じること考えることをテーマに更新しています。
著書 統合失調症 愛と憎しみの向こう側
患者家族の感情的混乱について書き下ろした本です(パソコン、スマートフォンなどで読むことのできる電子書籍)ブログ〝知情意〟は、この本に描いた体験を土台に更新されています
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統合失調症の遺伝率と結婚 / 幸せになってほしい

結婚以来、妻とは人並みに夫婦喧嘩もした。
まだ互いに若く、妻が統合失調症の発症前でもあった新婚時代は精神疾患の存在を気にする必要もなく、夫婦喧嘩といっても感情に任せたものばかり。
考えてみれば、それはきっと平凡という幸せだったのだろう。それがいつしか、夫婦関係に病気との関係が加わりつつ、わかってくれよと、わかっちゃいないの気持ちだけが対立してしまうような夫婦喧嘩ばかりが続くようになった気がする。
それはつまり、支える側の苦労もわかってくれよという僕の内心と、毎日毎日薬を飲み続けなければならない私の身にもなってよという妻の内心が互いに遠慮しながら小競り合いを繰り返しているような……そんな感じではあった。
たしかに夫婦愛は存在している。けれど、家族のイベント等がいつも病状に左右されていることや、普段の会話や態度が妻への刺激とならぬように、とかく先手を打とうとする自分にやりきれなさを感じたりと、僕なりのストレスも無くはない。
それでいて、言語化した気持ちをぶつけ合うような喧嘩になるものでもないのは、それを言っちゃぁおしまいだろうと互いにブレーキを踏んでいたからなのかもしれない。

もっとも、そんな喧嘩ですら二人の間に存在できたのは、毎月一回の通院加療でそれなりの安定感を継続できていたことにもよるが……。

――時は流れた。
それから十年近い時間が過ぎ去り、病状は激しく悪化。
そして医療保護入院。

人生で何か大きなイベントに遭遇してしまった後、周りから見て人が変わってしまったように映ることがよくある。
人は自ら変わろうとしてもなかなか変われないものなのに、ある出来事がきっかけとなり人となりが大きく変わることは確かにあるのだろう。
妻が閉鎖病棟で過ごした一年間で、僕が妻に寄せる思いは土台から変わった。

夫婦なんて元々は垢の他人同士。
男女関係から人間関係へと互いの距離感が変化していく道筋は、子供の誕生をはじめとする沢山の出来事を経験しながら人それぞれの形で絆を深めていくものなのだろう。
僕達の場合、十年前のように夫婦関係に微妙なブレーキを踏みあう関係性も多分無く、こんなに正直に素直な気持ちで妻に向き合えるのは皮肉ながらにも病気のおかげとも言えるのかもしれない。

そう言えば妻が退院してからというもの、僕達は夫婦喧嘩を一度もしていない。
勿論、配偶者が精神疾患を持っていることによる夫の負担はストレスの素ではあるのだが、そのストレスが外に向けて攻撃的になろうとする時、僕にはどうしてもあの時の妻の姿が鮮明に蘇えってしまうのです。

閉鎖病棟の鉄扉に設けられた小窓越しから、僕の目に飛び込んでくる修羅場のような光景。
この手で入院させた先で、重篤な他患者に突き飛ばされて、壁にすがりつきながら、砲を食らったように呆然と相手を凝視していた妻の姿。
くそぅ! 妻を突き飛ばした相手に僕の鋭い視線が飛ぶが、彼らもまた妻同様に病的体験に苦しんでいるのだと考えるとただ物悲しさだけに包まれてしまう。
妻自身も混乱を極めた精神状態だった。それでも恐怖という感情が妻の脳から消えてなくなるわけではない。
同じように混乱した他患者の行動に恐怖を抱く様は、鉄扉を突き抜けて僕に伝わってくる。
今すぐにでもこの扉を突き破り、よろよろと廊下にへたりこんでしまった妻に手を差し伸べてやりたいのに、窓越しに妻を見守るだけの無力さに激しく自責する。

此処は一体なんだ? 医療保護入院という言葉の、保護という単語だけが僕の胸に居座る。
医療に繋げるとはこんなことなのか?
「それは仕方のないこと」
仕方のない?
主治医に対してごちゃごちゃと家族感情を持ち出すしみったれた僕は、治療に協力的ではない家族に該当するのだろう。
「入院を希望されたのは旦那さんなのでしょう?」
主治医が淡々と発するその一言には戒めと忠告が含まれていたとしても、そして精神科医の見立てとして激しい病的体験をしている最中に入院環境による影響を考える必要はないと説明されようが、その時の僕には仕方のないことと片づけられるほど自分達を客観的に捉える余裕なんてなかった。

薄気味悪ささえ感じる静まり返った面会室。
身体拘束が解かれた後の面会時、身体拘束を行なうにあたってのお知らせと書かれた紙切れを目にした。
何時何分、あなたの状態が下記に該当するために……
自殺企図、自殺衝動の切迫……多動不穏……そして精神保健指定医の署名。
ポケットにしまいこんでいた、この無機質な紙切れを僕に差し出す妻の横顔に、僕は感情を持って生きている一人の人間の姿を見た。
「辛かったね……」
そう言い添えながら紙切れを受けとるだけで妻の病苦と失意をどうにもしてやれない無力な自分。
その時の妻に僕がしてやれたことは、妻の前で決して涙を流さぬことだけだった。
妻の現状態は了解不能だと説明する主治医には悪いが、僕にとっては病人である前に一人の女性である。閉鎖病棟の中で過ごす大勢の病人の内の一人として向き合うだけの主治医に、この紙切れを僕に渡そうとする妻の哀しみが理解できるだろうか?

今とこれからの僕には、あの時の妻の姿と自分の感情体験が夫婦関係の間合いから消え去ることはないだろう。


ところで、そんな僕の心模様は子供達にはどう映っていたのだろうか。
入院中、妻の病状次第では家族の存在自体がどうなっていくかもわからない不安に包まれた生活を続ける一家。
ある日の二人の娘との会話。
言葉の弾みにもよるが、今はママのことしか頭にないような言い回しになったことがあった。
違う、家族みんなのことが大切には違いない。ただこんな時、どうしてもママのことで頭の中が一杯になってしまうんだよ……
それが僕の本音であったとしても、二人は決して大人の複雑な心境を察するタイプでもない。
「ふーん……ママが一番なんだ……」
そう答えた娘の内面には、病気の問題の中にはまりこんだ両親から取り残されてしまったような子供心を薄々感じざるを得なかった。

あれから年単位の時間が過ぎ去り、子供達も時間相応に成長した。
これからもどんどん大人への階段を上り、そのうちにいい人との出会いもあるのかもしれない。
そして将来、二人の娘が家庭を築こうとする時を迎えた時、僕はどうするだろうか?
統合失調症は遺伝的要素と環境要因が複合的に絡み合って発症する病気でもあり、総患者数は100万人近くにのぼる、稀ではないありふれた病気である。
当事者でもある親の本音として、子供達が遺伝の影響を受ける可能性を除外することはできない。
結婚は愛する二人だけの問題でありながら両者の家族関係の結びつきでもあるとしたら、そこに統合失調症の遺伝の可能性という問題は時に重大な壁ともなりうるだろう。
例えば、それが判明したことによる婚約解消。
そんなケースも世の中には存在するだろうし、当の本人達にとっても結婚後に遺伝が実現してしまった場合に抱えるであろう問題を危惧した場合、恋愛感情を天秤にかける打算が働いたとしても不自然ではない。
精神分裂病から病名変更もされ、人の扱いとは思えない治療環境も廃絶されてきた昨今、最近では脳画像を用いた研究の発展や新薬の開発などに関する話題もよく見かける。
けれど、末端の地域精神医療の現場に反映されるにはまだ相当の時間を要するのではないだろうか?
正直なところ、精神医療の未来に位置するのは孫達のタイミングかもしれない。

若い二人に、僕はいったいどんなメッセージを発信するのか?
愛は病を超えるもの。
そんな、僕個人の限られた結果論を娘達の未来にあてはめるのは余りにも無理があるだろう。
父親として、統合失調症の患者家族として娘達の結婚問題について僕にできることは一体何か?
それは、今のところ婚約相手に親として事実を告知する義務を持つことではないかと考えている。
私の娘を愛してくれてありがとう。でも君には是非知っておいてもらいたいことがあるんだよと……。

君が愛する人の母親は統合失調症という病気を発症した。そのことが娘にとってどういう形で影響を与えるかはわからない。遺伝に関する統計値を出してきたところで、君たちの強くて若々しい愛をしらけさすだけの話なのかもしれない。
しかし、人を愛するということは、常に愛せなくなることと背中合わせなのだと思う。
二人の時間を積み上げていくほどに、愛には限界があると知ってしまうこともあるだろう。
親子で暮らす時間よりもはるかに長い結婚生活を継続していく過程で、万が一、精神疾患が原因で辛く哀しい人生の局面を迎えた時に、二人の支えは二人でしかないはずだ。
もしもできることなら、愛の限界に立ち向かえるためにも今のうちに病気への知識と家系について、愛とは少し距離を置きながら深く考えてみて欲しい。
その結果、君が出す揺るぎない答えは僕と娘に深い安心と信頼を与えてくれると思う。
と、僕はお相手に伝えたいと思っている。

実を言うと、妻の家系にも精神病が存在している。
そして僕の場合は、妻が精神的症状のために通院加療を始めた時点でその事実を知ったケースにあたる。
つまり、恋愛期間とか新婚時期にかけて妻の家系に精神病患者が存在していたことは知らなかった。
当時は統合失調症という病名が精神分裂病とされていた時期で、世の中にうつ病という言葉の認知度が高まる少し前だったから、メンタルヘルス不全なんてものの感覚自体がぴんとこないタイプの人間は僕だけではなかったはずだ。
その後、経済事情の反転、うつ病患者の急増や自殺者数の連年におよぶ3万人越えなどの社会現象にともなって、心の健康が叫ばれ始めた頃、言わば時代の節目に僕達は結ばれた。
統合失調症は遺伝的要素と環境要因が複合的に絡み合って発症する病気でもあると、もしも当時の僕が予備知識を備えていたならどうだろうか?
ひょっとしたら、妻への接し方という面では微妙な違いがあったのかもしれない。また、それにより妻の人生が潜在的に統合失調症発症のタイミングを見計らいながらも実際には発症しないまま経過していたのかもしれない。
治療医学よりも予防医学が大切だと聞くが、危機管理が結果を約束するものではないとしてもリスクを知っておくことで家庭を崩壊させるほどの力をもつ精神疾患の問題を少しでも回避することができるのなら、それに越したことはない。

ただし、この病気が未だに機器や数値を用いて原因の特定や治療を行う病気では無い以上、ある意味で発症は防ぎようのない運命的なものなのかもしれない。
なぜなら、遺伝リスクのある家計に生まれ出てくることは運命以外の何物でもないし、結婚や子育て、身内との死別などの重大なライフイベント、職場環境や人間関係なども発症の可能性をかばうために操作できるような単純なものでもない。

そういう意味では、発病は仕方のなかったこと? かもしれない。
だとしたら、娘の将来のお相手には先に書いたことに加えてもうひとつ伝えたい。
人に運命を変えられる力は無いだろう。
けれども、運命に未来を変えてしまう力もない。
精神病が引き起こす問題によって、親族間の縁も、自分の出世も、マイホームも、何もかも消えてしまった僕達にも未来だけは残された。
運命とか不運とか、そんなものに惑わされない素敵な愛を育んで欲しいと思う。
そんな君たちに、僕は外野席から声援を送り続けたい。



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17 件のコメント:

  1.  はじめまして 母が統合失調症です。病名は知らされていませんでした。私が小学校三年生の時に被害妄想、幻覚がひどく入院しました。退院したあともときどきおかしくなり、私の友達を追い返したりしていたので4年生の時に2度目の入院したときは母がいないことでホッとしていました。その後再発もなかったので病名を聞かなかったのですが10年ほど前に再発しました。そのときはショックでした。なんで知らせてくれなかったのかと思いました。子どもが二人いますが娘に幻聴があり心配しています。主人からも母の事で知っていたら結婚しなかったかもしれないと言われました。主人には娘の病気のことが話せません。ただ、診断は自閉症スペクトラムの疑いもありはっきりしていません。
     母の病気のことを知っていたら子供を産まなかったかもしれません。結婚もしなかったかも。やはり、辛いですよ。
     
     

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    1. 辛いことと思います。知らせておく責任と知らせない優しさ。どちらが利益でどちらが不利益なのか?それは、結果から後追いするしか道はないのでしょうか。また、知らせないことが優しさだけとも限りません。
      ただ、私は知らせておく義務があることを自分に課せています。

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  2. 初めまして。私も先の投稿者さんと同じように、統合失調の母を持つ娘です。

    10歳の時に母が発病し、一番症状がひどかった(妄想・幻聴)のは、両親が40代~50代、父は一番仕事が忙しい世代で子供は受験期、一番親としてプレッシャーが大きかった時期です。当時家族の誰も母の病について何も知らず、通院させることもせず、私たちは母を性格異常者だとして責め続けました。

    現在、父母は70代で、私たち子供もそれぞれが独立結婚し、子供も生まれましたが皆健康で元気です。父と母は数年前に離婚しました。母の妄想や幻聴の矛先は父に向かうため、定年後の生活を考えたとき、一緒に生活することは考えられなかったそうです。離婚前から10年以上、母は実家で生活しており(そちらのほうが病状が落ち着いたから)、離婚前も今も実質的には私たち家族は変わりなく過ごしています。

    私は結婚した後に母の病について知り、その遺伝性に怯え、せめて結婚前に知っていれば相手に説明することもできたのに、と悩みました。

    私には統合失調の家系である母の遺伝子と、そうではない父の遺伝子と1/2ずつ入っています。統計学的に言えば、片親が統合失調の子の発病率、その子供=孫の発病率は一般の統合失調がいない家計の数値と相違ないと聞きました。身体的素因として継承されるものがあるとしても、発病のきっかけとなる環境的素因がなければ発病はしないとも聞きました。

    必要なのは、本人が自分の体質を知りストレスとコントロールできること、家族や社会がこの病に対して正しい知識を持つこと、暗く破滅に至るようなネガティブイメージが払拭されること、早く遺伝子治療的な医療の進歩してほしいと思いました。

    望んだわけでもなく何度も神様を恨みそうになりましたが、すべては「しょうがない」そう思っています。父母が二人で私たちのためにがんばってくれたこと、どんな形であれ元気でいてくれることが何よりだと思っています。

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    1. 「必要なのは本人が自分の体質を知りストレスをコントロールできること」これは素晴らしいひと言だと思います。
      誰だって多かれ少なかれ精神疾患を問わず様々な形態のリスクを背負って生きているものです。
      リスクを他責的にとらえないこと、それは簡単なようで難しいことです。
      かと言って、神様を恨みそうになったお気持ちも理解できます。
      きっと、激情にもまれながら御自身を諭してきた経緯があったのでしょう。
      抱えてきた問題の数々、ご両親の高齢での離婚、様々な〝結果〟は、これから健康で幸せな家庭を築き続けることで深い悔恨の念から遠のいていく人生であって欲しいと感じました。

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  3. 以前母が双極性障害1型でコメントした者です。貴方様は立派ですね。私の父は母の死後3年もたずして親である事を放棄しました。妹はまだ高校生でした。周りはお父さんも男なんだから可哀想でした。
    統合失調症もそうですが双極性障害も遺伝性が高いと言われる疾患です。私は以前仕事のストレスと親子関係の不和からうつ状態となり心療内科を受診したらはっきりとは言われませんでしたが双極性障害の2型の様な診断を受けその様な薬を処方された事があります。当時不眠や気持ちの落ち込みはありましたが躁状態は全くなく仕事にもしてました。トラブルもないとその事を何度も伝えましたが処方がかわらず薬も効かず馬鹿馬鹿しいので通院を辞めました。が非常に気分が悪かったです。
    家族疾患は血のつながりあるお嬢様には年をとると結婚や出産で悩みがでると思います。面とむかって批判はせずとも傷つく事もあるでしょう。私は家族を持たない生き方を選択しましたが…ある意味家族の重みから逃げたんだと思います。最も相手がいないからだろうと言われればそれまでですが)(笑)
    正直後悔もないです。寂しさもよくわからないです。でも周りに同情されるほど不幸でもありません。ただ父が貴方の様な思いやりのある人であればまた違う人生もあったとは思います。以前別のエントリーに貴方様が記載してた様に病に原因を求めても意味などないんです。自責の念に苦しんでも何も解決出来ないと私は母を亡くして30年以上苦しみました。何冊も精神疾患に対する書籍を読み苦しみから逃れたくて理解しようとしました。でも何も解決出来ないとようやく悟りました。誰かを憎んても自責の念に囚われても苦しみが堂々巡りするだけです。私が偉そうには言えませんがもしお嬢様が辛い思いをしたらせめて何があってもお嬢様の味方でいてあげて下さい。気持ちだけでいいんです。

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  4. はじめまして、私は、統合失調症27才の時に発症しました、原因は、私も
    当時若かった事もあり、今は43才になりますが、婚約者の突然の自殺が、原因でした、若い私は、彼の事が、大好きで、恋愛しかみえていなったのもしれません、強い人だったら、立ち直れたかも、しれませんが
    愛する人の突然の死に、私はパニックになり、仕事も、行けなくなり、自分も、死にたくなる衝動に、かられ自殺未遂
    したり、段々辛くて生きている事が、辛くて、私は統合失調症と、言う精神病、偏見が嫌で、きちがいとか、言う人も、います、私は、普通に、仕事をして田舎の母親に仕送りし、自分は、今は統合失調症と、言う事を忘れるくらい、一生懸命頑張っています、でも、悲しい事は新しい彼が、できた時、薬を飲んでいること、統合失調症であること、言えませんでした、きっと、統合失調症は、酷い病気、精神病、厄介者と、世間や、コメントを見ていると、周りが、辛い、辛いと、確かに、人それぞれ症状が、違うと、思いますが、辛いのは、統合失調症の本人です、私は、障害者年金は、政府の年金のややこしい、三分の二の支払い額が、3ヶ月足りないだけで、一円も、貰えないので、死んだつもりだったら、何でもできる、命あるかぎり、頑張って働いています、偏見が、すごいので、私は、統合失調症のご家族に、言いたいです、もし、重荷なら、悩まず、グチらず、統合失調症の家族を捨てればいいと、もし、それでも、家族として、認めてくれるのなら、薬を飲ませ、献身的な
    愛で見守ってほしいと、統合失調症の私が言うのも、おかしいですが、あまり改善しないのは、薬が、あっていないか?先生が、合わないか?で、全然違うので諦めたら、終わりだと、私自身も、思いますので本人は、何もできない、状態なら
    良い精神科医を調べ合っている薬を飲めばかなり、改善します、あまり、統合失調症だからと言って精神病かもしれませんが、偏見や、家族から
    理解されないのが、一番辛いことなので、大変な
    事あるかもしれませんが、深い愛情で、見守ってほしいと思います。

    返信削除
    返信
    1. 病苦と同等に苦しむのが偏見であろうと感じます。
      治療者が病苦を支え、家族等の支援者が偏見から守る。つまり、患者と治療者と家族はひとつのチームとして統合失調症の問題に向かうのだと思います。

      削除
  5. 返信ありがとうございます、私は、病状も、よくなりましたが、まだまだ、統合失調症で、苦しんでいる方、ご家族の苦労長い投薬生活、色々大変ですが、生きているだけで、幸せだと、様々な、病で命を落とす方も、います
    お若い方でも!ご家族の諦めない献身的な愛情で、統合失調症の患者が、悪化しないよう長いスパンで家族の苦労もわかりますが、諦めず病状が、よくなること、必ずよくなりますから、偏見や、患者の苦しみを少しでもわかって、頂きたいとおもいます
    返信ありがとうございました

    返信削除
  6. はじめまして。32歳一人っ子の娘です。
    私も統合失調症の母がいました。母はつい先日肺がんで亡くなりました。
    母は私が中学生の時に発病し、病名は非定型精神病でした。そこから学生の間に1回、21歳の時に両親が離婚してから2回入院しそれから長期入院となりました。長期入院中は落ち着いていましたがその矢先、末期ガンが発覚し2年の闘病後亡くなりました。
    母は生活保護を受けて一人暮らししていました。金銭面の負担はなかったのですが、一人っ子だった為親戚の多少の援助はあったものの大変でした。
    がんがわかった時に精神病名を見ると統合失調障害となっていました。
    遺伝があるなど知らずただ必死に過ごしていました。
    1年ほど前に結婚前提の彼ができました。彼は母の病名を知らせています。
    しかし母が亡くなった日に彼からあまり母のことを人にいうのものではない。と言われました。私は今まで渦中にいたので気がつかなかったのですが世間では精神病はそんな目で見られてるんだ、
    と気がつきました。
    そして彼の両親も遺伝することなどで結婚に関してはあまり触れたくないそうです。
    私にとって精神病というのは身近で、誰にでもなりうる病気。そしてその病気と一緒に生きている。強い魂を持った人だと思います。
    なので私は母を誇りに思っています。
    大事な人だからこそ偏見を持たれると辛いです。
    天涯孤独になった今、彼と新たな人生を歩みたいと思います。彼の両親とも上手くいくよう模索中です。

    返信削除
    返信
    1. 精神疾患への偏見は体験者と未体験者では埋まることのない隔たりがあるのは仕方が無いことだと思います。
      当事者の関係者でなければ理解できない問題は、やはり体験がなければ正確に理解することは難しいことです。
      統合失調症の遺伝性についてもしかり。
      結婚話に遺伝性の確率と愛情を照らし合わせることは、結婚とか人生の価値観によっては間違ったことでもなく、判断を誰が評価できるものでもありません。

      偏見に対する〝立ち回り方〟を身につけておくこともひとつの方法。
      その一方で、偏見を超える愛情が存在することも必要条件。
      …かもしれません。

      母を誇りに思えるお気持ちは、私が妻を誇りに思える気持ちと同じ気持ちだと思います。
      その誇りは、偏見を打ち負かす〝力〟です。
      幸せな未来を陰ながら応援しています。

      削除
  7. 初めまして。
    うちの母も50代の頃に統合失調症と診断されました。
    薬嫌いで急性期だけ飲んでた状態です。
    母も75ですが70歳前から薬も飲まないのに症状が日に日に良くなって
    今はかなり落ち着いてます。
    遺伝に関してはうちの場合、母の親、兄弟は発症した人がいなかったようです。
    私は4人兄弟ですが今の所、誰も発症してません。
    母は15歳の時に両親を亡くして
    弟達の為に夢を諦め多難な思春期を過ごしました。
    それが何かしら影響したのかはわかりませんが
    かなり考えすぎる性分、限界を超えて頑張りすぎる性格
    負けず嫌いで何事もトップを目指さないと気がすまない所に加えて
    自律神経がとても弱かったです。
    何が原因なんでしょうね。

    返信削除
    返信
    1. 原因不明性の症候群とはよく言ったものです。
      発症原因を追及せずにはいられぬほど家人を疲弊させる一方で、原因を特定しようとするほど誰かが傷ついてゆく・・・そういう病気だとひと言で終わらせればそれまでですが、果たして当事者や患者家族には〝ひと言〟を受け入れるには長い時間が必要なのでしょう。

      私たちも「精神薬は老化イコール、精神活動の低下にともなって断薬の可能性も高まります」と、言われたこともあります。
      しかしそれでは・・・・・・
      と、思慮してしまうことも事実です。

      人生と人間関係に強く影響を及ぼす病気であることは間違いない・・・
      そんなことを思います。

      削除
  8. 始めまして。
    私自信が統合失調症です。20歳で発症してもうすぐ10年になります。幸いにも働くことができています。私には大切な恋人がいます。仕事柄、病気についての理解は大変深い人です。軽く調子を崩した時期にもかわりなく支えてくれた優しい人です。いつまでも一緒にいたい。でも、将来を考えると私は結婚という選択をしてよいのか分かりません。再発したら、子供ができたら、相手の両親に病気を伝えるのか。そして、私の病気が彼のストレスにならないか、私と結婚することで私と同じような偏見を彼が感じないか。彼が大切だから、私ではだめな気がしてしまいます。

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    1. 互いに大切だと思い合う二人がずっと一緒にいる。そして結婚して家庭を築き同じ人生を歩むということ。
      そこに、病気だとか両親だとか偏見だとか・・・それらを理由にして、あなたが幸せを放棄する理由はありません。
      彼が大切なら「アナタのことを幸せにする」という彼にとっての幸せがかないますように・・・

      素敵なご家庭を築かれますように応援しています。

      削除
  9. こんばんは、以前投稿したものです、私は27才で、統合失調症と判断されたものです、新しい彼に、以前病名を話せないと、言っていましたが、2016年5月14日に
    入籍、結婚と、言う事に、なりました、彼は健常者、普通の方です、障害者手帳、私の飲んでいる薬全て話す事できました、私は43才、です、
    統合失調症だからと言って何故普通の生活したら、出産や
    結婚など、私は43才ですが、主治医、東京に、住んでいますので、高度医療のある、大学病院に、相談し、精神科、婦人科連携する、高度医療の、病院に、相談し、妊娠、出産考えています、彼は!42才、健常者なので、普通に、子供欲しがります、何故そんなに、統合失調症だからと結婚
    や、出産が、ためらわなければならないのですか?普通の人間の、暮らしが、できないと、皆様お持ちですか?それは、違います、統合失調症でも、希望を、持ち、主治医の、言う事に、従いもちん、自分が、統合失調症と、知ったうえで、薬減量、もちろん、母乳は!与えれない事わかっています、私も、最低限の薬減量で、今は、ほとんど一錠エビリファイのみ、統合失調症なら、ご存知の、お薬です、障害者手帳を持っていたって、統合失調症だからと、言っても、遺伝子ばかりで、この病気に、かかるとはいいきれません、統合失調症だからと、言って
    普通の、ひとなみダメとは、医師に言われていません。何故皆様悲観的、に、なり母親が、統合失調症だから、妻が、統合失調症だからと、嘆く意味わからないです、だって、良い先生次第で、私自信も、仕事、家事、母親の仕送りと、頑張っています、諦めないでください、幸せは、自分でつかむことは、健常者でも、障害者でも、同じです
    もう、同居彼とは、しています、普通に、人並みの、幸せ、いけないでしょうか?そんなに、統合失調症の、人間の、遺伝子ばかりだから、障害者の、子が、生まれてくるとは思えないです、ちゃんと、自分の、病気を、理解し、精神科、病院を選んで、いれば、統合失調症も、改善は、見込めます、辛い家族の方わかりますが、前も投稿しましたが、つらいのは、本人です、私は彼に、隠していたこと、彼に、叱られました、本当の、病気早く言って欲しかったと、病気が、飲んでいる、薬、わかって、逆に、ほっと、したと、医学すすんで、います、諦めたら、終わりなので、家族の支え必要な病です、統合失調症だからと言って見捨てたり、統合失調症の家族の批判するのは、私自信辛いことです、障害者だから、幸せに、なったら、いけないなんて、事ありません、ご家族のかた、本人統合失調症のかた、希望捨てず、献身的愛情で、見守ってくださったら、統合失調症の、病気を、克服できると、私自信辛い時ありましたので、家族の、愛情に、感謝しています、長い文章お読み頂きありがとうございました、幸せになります(*^_^*)家族に、感謝(*^_^*)

    返信削除
  10. はじめまして、私は今年43になりますが、やはり統合失調症です。10年前に急性期で発病しましたが、有り難いことに今は社会復帰をして、8年目になります。病気をグロースにして働いてます。そのように言うと軽いと思われる方も多いと思いますが、皆さんご存知の通り病気は乗り越える、越えないという次元ではなく、私自身よくあの時期を乗り切れたと思ってます。
    私には今付き合ってる方がいますが、彼も統合失調症で病状は軽くはなく、良く思考電波と幻聴の話しをよくします。でも将来一緒に暮らす為に週二日ですが、障害者枠で老人ホームで働いています。
    ただ1つだけ悩んでいることがあり、子供を作るかどうかです。元々私は結婚願望が若い頃からなく、それは今でも変わりません。年齢的な子供の心配がなければ、考えることもしてなかったと思います。どうせ産むならやはり出来れば好きな人の子供が欲しいです。彼や自分の主治医に相談するとやはり答えは十人十色。将来年を取って女性として生まれて、子供を産まなかったことを後悔するときがくるかどうか、不安です。
    もちろん産んだとしたらそれは子供の別の人生もはじまります。何か子供の視点からでも当事者の視点からでも結構です。何かご意見ありましたら宜しくお願い致します。

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    1. 子育てのイライラなどで子供を産んで後悔するよりも、子供を産まなかったことの後悔の方が、大きいのではないでしょうか。

      ただし、老いたときに子供を産まなかった後悔を超える幸福感があれば、考え方は違ってきます。

      人生は本当にわからないストーリーですね。

      さて、ここからは個人的な意見となります。
      40歳を超えると一般的には妊娠が困難な年齢であることは事実です。加えて、男性側の不妊原因も増加します。たとえば、男性は加齢とともに生殖細胞が断片化するなどと言われます。
      そして服薬しているなら、妊活中は断薬する必要もあるかもしれません。
      そして両者の疾患履歴を考慮した時の遺伝性の問題です。

      リスクが高い事実は免れないはずです。

      たしかに、一般的には産んだ後悔よりも産まなかった後悔の方が大きいと書きました。
      ですが、もし……それが逆になってしまえば?
      つまり、産まなかった後悔よりも産んだ後悔が大きくなってしまった場合の「不幸」です。

      水を差す意見かもしれませんが、あえてこのような形で書きました。Mさんが心に決めた答えで、幸せになって欲しいと強く思います。

      削除

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