統合失調症の症状への対応、抗精神病薬の副作用、精神科医との信頼関係、患者との関係性……。患者を支える家族の悩みは深く長期間に及びます。このブログは、妻の医療保護入院による夫の感情体験を書籍化後、支える家族にとっての精神疾患について、感じること考えることをテーマに更新しています。
著書 統合失調症 愛と憎しみの向こう側
患者家族の感情的混乱について書き下ろした本です(パソコン、スマートフォンなどで読むことのできる電子書籍)ブログ〝知情意〟は、この本に描いた体験を土台に更新されています
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精神障害者の選挙について / 精神科病棟の不在者投票と社会参加

精神科病院への入院は、刺激の宝庫とも言える社会生活から一旦隔絶されることによって、統合失調症の症状によって激しく混乱した脳を少しでも休ましてやるには大いに意味がある。
だから精神病院とか閉鎖病棟とか保護室とかを、人が人たる的云々だけにこだわってイメージすることも、ひとつの間違いであるかもしれない。
だとしても、精神科閉鎖病棟で過ごすことが世の中からの隔絶だとする第一イメージがそれほどピントはずれな感じもしない。
そして、内側からも外側からも施錠と開錠をしなければ一歩も外に出られない病棟の中で過ごすことは、患者にとっても自分は世の中から排除されてしまった人間だとする感情が生まれることも否めないだろうと思う。

――精神病である自分。
苦しくて、訳が分からなくなって気が付けば入院、または入院させられていた。
なんだかごちゃごちゃと自分を批難したり、からかってくる幻聴もまだ消えることはないが、徹底した服薬管理のおかげだろうか、少しは混乱が収まってきつつある頃には自分の置かれた現状とその理由を考え始める人もいるだろう。
世の中との繋がりを感じ難く、自分って、この社会の中でどこでどんなふうに生きてりゃいいのかと……

全国30万人を超える精神科病院の在院患者数は決して少なくはないだろうから、他疾患や疾患外の大きな人生問題を背負う人々の中で精神病患者の人生を考えた場合、精神病院に入院することは何も特別なことではないと考える人もいるが、それは複数の当事者を広く見渡すことが可能な第三者だから言えることであって、当事者にとっては自身の人生を左右する特殊な経験に値するはず。
当事者の抱えた問題を誇大化することも美化することも必要もないが、問題というものは比較してどうかではなくてその人にとってどうなのかという点に寄り添わなければ共感できるものではない。


ところで、選挙の投票日が近付いている。
お茶の間や街頭で、メディアからの情報や候補者の熱烈な訴えを吟味する健常者も様々な立場と考え方で選挙について考える機会をもつことだろう。
それでは、選挙どころではない病状の人は別として、精神科病棟で過ごす人々は選挙についてどんな意識をもっているのだろうか?
投票には不在者投票という制度があるのは周知の通りで、高齢者施設なども合わせた入院患者の在院先が各県の選挙管理委員会の指定する病院となっていれば入院患者の投票も可能である。
それでも、不在者投票総数の内、指定施設からの投票は5パーセント位だから実際に病院から一票を投じる人はそれほどいないはず。さらに、5パーセントの内で精神科病院の在院患者に絞ると制度の利用者はぐんと減るだろうと思う。
もっとも、投票どころではない人も大多数いるわけだから……。
その中で、施設内や院内の投票を管理するのは病院長であったり立会い者も職員であったりする為か、起こるべくして起こる不正投票も少なくはない。
私利私欲に絡んだ投票の誘導や、投票意思の無い患者の投票権利だけを借りた不正、強制。
また、患者間の煽りによる、意思とは無関係の候補者への投票……
こんな事例を反映したのか、指定病院の不在者投票管理者には選挙管理委員会が選任した外部の人間を立ち会わせることなどが盛り込まれた、公職選挙法の一部改正がこの夏の選挙から適用されることになった。
外部から閉ざされた空間で行われる選挙投票がどのように様変わりするのかは、患者の意思が限りなく尊重されたいと願う一人としては、患者の投票権を利用する一部の病院経営者の悪意が排除されればいいなと期待する気持ちもある。
ただしこの内容、努力義務化されたという話ではあるが……

妻の入院中、頻回に訪れていた病棟の休憩室。
負けじ魂とプリントされたTシャツを着た男性患者が、いつも腕立て伏せに励んでいるのは退院後に備えた体力づくりらしく、僕と腕相撲を一戦交えながら見せる笑顔はカッコいい。
退院後は年賀はがきの仕分けバイトに参加するつもりだと話す、うつ病の女性患者。
日差しのそそぐ、いい感じの空間には新聞を読んだりテレビを観る患者も沢山いた。
相応に回復した患者がどことなく弱弱しい病的なかげりを見せながらも、情報に関心を寄せ、これからの地域とのつながりの中で自分に期待を寄せようとする表情は素敵でもあった。
そして、自宅で退院を待つ子供達の近況に加えて世間では何か変わったことはないの? なんてことを口にする、転院して病状が劇的に良くなってきた妻。
自分を壊してしまおうとして負った傷もあざも消えてしまった妻が、家庭や地域社会への繋がりを感じ始めた頃の明るい表情には強い生命力すらうかがえる。

気が付けば閉鎖病棟の中にいたという瞬間を起点に、その人なりの時間を費やしながら回復の途を辿り、家庭や地域に復帰できる段階に達したとき、自分が社会の一員であることをもう一度知る。そこには力強い生へのエネルギーを感じずにはいられない。

そして、社会参加への一種独特の重みをもつ投票行為。
健常者の一票も病者の一票も何ら変わりなく社会に働きかける。
指定病院で行われる不在者投票は、悪意も作為も無理強要もなければ、投票可能な在院患者にはとても意義ある社会参加だと思う。



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