統合失調症の症状への対応、抗精神病薬の副作用、精神科医との信頼関係、患者との関係性……。患者を支える家族の悩みは深く長期間に及びます。このブログは、妻の医療保護入院による夫の感情体験を書籍化後、支える家族にとっての精神疾患について、感じること考えることをテーマに更新しています。
著書 統合失調症 愛と憎しみの向こう側
患者家族の感情的混乱について書き下ろした本です(パソコン、スマートフォンなどで読むことのできる電子書籍)ブログ〝知情意〟は、この本に描いた体験を土台に更新されています
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精神科閉鎖病棟 社会的イメージと現実との齟齬(そご)について考えること

 閉鎖病棟って、いったいなんだ?
それは、自分の意思では外に出ることができない空間。これが、統合失調症の患者家族の立場である自分に入力された解釈だ。また、あと少し細かく形容するのなら、その空間に立ち入る時も出て行く時も施錠と解錠を必要とする特殊な空間と言ったところか……。
まして、製薬会社のイメージコマーシャルに起用されるような場所でないことは確かだろう。
そして、患者本人にとっての閉鎖病棟。それは多分、二度と戻りたくはないであろう場所?
家族にとっての閉鎖病棟。それは、できることなら体験と関与を否定したい空間?
これらの受け止め方は、統合失調症の急性症状により入院した先が閉鎖病棟であった妻と、医療保護入院の保護者制度により妻を閉鎖病棟で過ごさせた僕の固有の感想だとも言えるが、逆に考えると平凡なこの僕達も多分、一口に閉鎖病棟と聞かされれば、関係さえしていなければ興味とか敬遠とかの二人称的な捉え方が先行する場所なのだろうと思う。それだけに❝閉鎖病棟❞という単語の持つインパクトは、平凡な日常とは融合することのない閉ざされた空間だと意味づけてしまう性質があるように思う。
閉鎖病棟も開放病棟も精神科病院も、精神科医療従事者の側からすればれっきとした医療現場であって、感情云々の存在する場所でもなく、広く多くの患者に対して適切な医療を提供する場所であるだけの話ではあるが、医療と保護と人権に家族関係がギリギリのバランスを維持しながら精神科病院の閉鎖病棟を体験する患者家族の側からすれば感情が邪魔をするのか、なかなか同じような冷静さを持ち合わすことは難しかったりもする。人ではなく症状に向き合う治療者と、症状以上に人の部分を案じる家族では、もともと同じテーブルに置かれた気持ち同志ではないのだろう。
正直なところ、医療的な感じ方よりも保護的で隔離的な感じ方が先行してしまったのは、実際にお世話になった病院そのもののイメージや対応も影響している。本来は、保護入院ではなく医療保護入院であるはずだろうし、現代の精神科病棟の持つ静養できる空間イメージに沿った感じ方が妥当であるはずなのだが、やはり昭和の名残を感じさせる精神科病院というところは医療的イメージよりも保護や隔離的イメージが濃厚になってしまうのは致し方ないところで、精神科救急の輪番制により何も知らずに駆け込んだ先が、否応にも負のイメージを強くさせる病院風土であったことは運命だったと納得するのが自分達にとっても一番楽な方法かもしれない。
少し話が飛躍してしまうが、あのライシャワー事件後、精神科病床の増床を急ピッチで進められた政策を顧みれば、治療よりも社会からの隔離を担った精神科病院の醸し出す名残は簡単に塗り替えられるものでもないはずだ。だから、昭和を感じさせる精神病院から平成の精神科病院に転院した時に感じた❝まるで別世界❞は、この歴史の重みを一個人が感じる瞬間であったのかもしれない……。
ところで、かつて名の知れた遊園地に❝戦慄の閉鎖病棟❞とネーミングされたお化け屋敷が存在したが、当時の精神科医療の不透明さをモチーフとして大衆の興味と恐怖を引こうとする興行精神は、現実世界で苦悶する患者家族の心情を逆撫でさせたことは言うまでもない。このような経緯から考えあわせても、精神病院や閉鎖病棟という言葉のフレーズは人間の恐怖や興味、偏見など、人々のエゴを問う性質を持ち合わす言葉なのだろう。

ーー世の中は、この閉鎖病棟という言葉の響きを平穏で人間らしい暮らしから大きく乖離した特異なイメージにリンクさせてはいないか? それは、統合失調症の旧呼称が精神分裂病であったことによる偏見の拡大にも似通っていて、とかく、精神病というカテゴリーには正しい理解を得られにくいイメージを時代が作り上げてきた歴史がある。原因不明、精神の分裂、精神異常、メディア報道が煽る犯罪との強い関係、どれもこれも社会にとっての負以外の何でもないイメージを社会そのものが作り出した歴史は、精神病患者が弱い立場である病者だという認識を限りなく薄めたと言えるであろうし、言葉は悪いが、今更のように精神病患者隔離政策から病院から地域へと一転したところで、例えば精神疾患全般に関するインターネット上の書き込みが様変わりするには後何十年かかるのだろう……?
だとしても、統合失調症の社会的イメージや治療の進化、そしてそれぞれなりの幸せの種まきが行われようとしている時代に喜びを感じるのは当事者ならではの感情ではある。

閉鎖病棟……精神分裂病と同様に、もうそろそろ急性期治療病棟などの呼称に置き換えられても良いのではないだろうか? このことは、隔離室のことを個室と言い換える医療スタッフが増えているような内在的なレベルではなくて、社会全体として言葉の流通が途絶えて欲しいことを意味している。
閉鎖病棟は怖いもの見たさのアトラクションやホラーゲームソフトのモチーフでもなく、内部で何が起きているのかもわからない閉ざされた密室でもない。そして、ずっと閉鎖病棟で過ごす人もいるのだからと匙を投げる治療者がいるとしても、その場所は人生のゴールでもない。病で苦しむ人々が質の高い集中的な精神科治療を受け、回復と幸せに向かってリスタートするために静養する、穏やで毅然とした医療現場なのだ。



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