統合失調症の症状への対応、抗精神病薬の副作用、精神科医との信頼関係、患者との関係性……。患者を支える家族の悩みは深く長期間に及びます。このブログは、妻の医療保護入院による夫の感情体験を書籍化後、支える家族にとっての精神疾患について、感じること考えることをテーマに更新しています。
著書 統合失調症 愛と憎しみの向こう側
患者家族の感情的混乱について書き下ろした本です(パソコン、スマートフォンなどで読むことのできる電子書籍)ブログ〝知情意〟は、この本に描いた体験を土台に更新されています
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精神科病棟の身体拘束「逃げたりしないから――」

身体拘束と医療行為

精神科病棟で行われる統合失調症患者への身体拘束について、家族の立場から感じることについて書き綴りたいと思う。けれども、それは身体拘束への賛否を明確に主張するものでもなく、むしろ感じることと考えることがずっと交わらないままであるような、そんな内容でもある。

まず、身体拘束とは“患者の状態が自殺企図や自傷行為に至る切迫性”“身体拘束以外に危険を回避する方法が他にない非代替性”“身体拘束を行う時間が限定されている一時性”の要件に照らして行われる“医療行為”であるとされている。
参考までに、近年の精神科病棟における身体拘束が行われた患者数は以下のグラフの通り。年々増加傾向にあることは顕著だが、その理由については本稿の主題からは外れてしまうので割愛したい。それよりも、これだけの精神疾患患者に身体拘束が行われ、その背後には同等数以上の患者家族が存在しているということを知り、苦悩は自分だけのものではないとグラフ越しに感じられたならと思う。





身体拘束は、患者を看ている看護職による必要性の評価と精神保健指定医による判断という法的作業によって行われる。また、病院によっては家族への説明と同意を求める場合もあるが、そもそも身体拘束を必要とするケースは医療保護入院患者である場合がほとんどだから、それが行われる可能性については医療保護入院時に包括的に同意を得ている場合も多い。そして患者には“これらの理由により、今からあなたに身体拘束を行います”と知らせたうえでベッドへの固定が行われる。

このようにして身体拘束の手引をあらためて振り返ると、患者側にとっての身体拘束の大義はあたかも自分のためだけに在ると感じるだろうが、病院側にとっては本人のためであると共に他患者のためである場合も多い。なぜなら、病棟は個人の治療の場である以上に百人百様の患者が集まる場でもある。だから、他患者に著しく刺激を与えてしまうような患者とそうでない患者、両者の安全と病棟の秩序を維持するために隔離、拘束を行う合理性は、治療現場において必要不可欠なものだからだ。

身体拘束と家族感情

ところで、身体拘束というと暗く悲しいイメージがつきまとう……。
愛する家族が両手両足をベッドに固定されるという現実は、治療のためだとひと言で説明付けるにはあまりにも無理がある。そして、負の感情をあおる“身体拘束”という過激な表現。
学問的な机上では身体拘束のことを非自発的治療などと小奇麗に表現することがあるとしても、実際の治療現場では隔離だの拘束だのと過激でセンスのない言葉が流通していることについて、一家族としては精神科医療の相変わらずさを感じずにはいられない。
そう言えば、拘束という言葉を分解すると“拘”には“くくる”という意味があって“束”には“しばる”という意味があり、愛する人がオムツをはかされてベッドにくくりしばられる現実が家族を突き刺す悲しみは、治療のため本人のためだとする大義によって消されるほど浅いものでもないはずだ。
とは言え、妻の身体拘束について義両親と衝突し合った時、治療のためならオリの中に入れてもらってもかまわないと考える親族との感情の乖離は、医療と人道の微妙な関係がもたらす精神科医療に関係する家族感情の複雑さについて知らされた体験であると共に、親族関係の崩壊という結果をもたらしている……。

当事者にとっての身体拘束

身体拘束が解除された後、面会室で妻がもらした言葉。
それは「逃げたりしないから……」だった。そして、僕に差し出したクチャクチャの紙切れには「身体拘束を行うにあたってのお知らせ」と書かれてあった。
彼女はその時、じっと天井を見つめながら何を感じ考えていたのだろうか。激しい病的体験のさなかに自分自身を説明できる能力などないと治療者は言うが、少なくとも僕はそうは思わない。どういった説明を受けながら身を任せたのかは僕の知るところではないが、ベッドに寝かされた目線からうかがう治療者や看護師たちの視線、言葉、気配、その全てをおぼろげでいて正確に記憶しているのではないかと、僕は思う。
そして、妻は思ったはずだ。私はこれからどうなるのかと……。そう、身体拘束を行うにあたっての理由なんて、彼女にとってどうでも良い話でしかなかっただろう。

身体拘束が解かれて僕が面会にやって来るまでの間、ずっとポケットの中で握りしめていたであろう、その紙切れ。彼女のしぐさをひとつひとつ感じるほどに、僕は妻以外の全てを責めて責めて責め続けていた。
ただ、僕には必ず理解しておかなければならぬことがあった。それは、屈辱や人道、家族感情などの綺麗事を持ち出してくる前に、それらの感情は妻が生きているからこそ成立するものだということだ。
両手両足が自由であることが自死に至る決定的な手段となっていれば、身体拘束に対して、それでもおまえは否定的であれるか? と自分に問うてみた……。
未来を置き去りにした感情は安っぽい同情でしかない。
そして当時の未来は、今、快方した妻との穏やかな日常としてここに在る。

――愛する妻の命は、感情よりも倫理よりもはるかに尊い。



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10 件のコメント:

  1. はじめまして。
    発病して四年の統合失調症の妻を持つ30代、会社員です。
    数日前、深夜に殺してくれと叫び包丁を持ち出した妻を救急搬送し、医療保護入院、身体拘束となりました。
    入院は三度目ですが、何かに取り憑かれたような妻を見たのは初めてでした。
    拘束された妻を見ることができないと思った私は、拘束がとけるまで、妻に会いに行けませんでした。
    情けない気持ちと、やりきれない思いで、今回の入院はこの病気に対する自分の無力感を感じました。ただただ辛かったです。
    先日こちらのブログを見つけ、過去の投稿を読みながら、涙が出てきました。
    ただ、ほんの少し、安心しました。
    自分だけじゃないんだと。
    長々すみません。少し吐き出せたことで気が楽になるような気がして書き込みさせてもらいました。
    同じような孤独感や辛い思いを持つ人に読んでもらいたいと思います。

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    1. 今は辛い時ですね。だから、今夜も眠れないかもしれませんが……。
      三度目の入院は頂上に達したものと考え、あとは山をおりていくだけ。きっと、その日は来るのでしょう、今は多分、考えられないことだとしても……。

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    2. 返信ありがとうございます。
      まだまだ麓が見えない日々ですが、数ミリずつは進んでいるようです。
      救急搬送された時の記憶はないようですが、それなりに会話ができるようになっていました。
      帰り際に見せた、置いていかないでと言わんばかりの不安げな表情で手を降る妻の姿が、すごく小さく見えました。

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  2. 時に、家族は患者以上に辛いものだと思います。ですが、病棟で過ごす患者は家族以上に不安な気持ちだと思います。気持ち? そう、気持ちです。病的体験のさなかに気持ちもなにもと……考える人もいますが、少なくとも、気持ちを感じ取ってやれるのが家族ではないでしょうか。奥様の快方を心からお祈りしています。

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  3. 私も2週間拘束されましたが、オムツ交換時にズボンをおもいっきり勢いよく引き下ろされ、下半身露出された後で、オムツのストックがないことに気づいた看護師がオムツを取りに行く間10分間露出されたまま、ひたすら屈辱に耐えなければなりませんでした。周りに見られたままだったのです法律で許されてるとはいえ…

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    1. とても辛い思いをされましたね。医療スタッフも〝自分がされたらどうか?〟という気持ちを忘れて欲しくないと思います。

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  4. 2014年3月に上記のコメントさせて頂いた者です。
    あれから3年か…
    この世の終わりに思えた時でした。妻は4ヶ月ほどの入院、その後は通院しながらも非正規とは言えフルタイムで働くほどになりました。
    一番最初、発症に気付いたのが2010年の1月だったので、6年ですね。そのうち1年と半分は入院期間です。
    その妻が、昨日、妊娠したかも。と言ってきました。結婚して8年、やっとできた!という喜びと同時に、不安が襲ってきてます。
    病気の事だけではなく、1年半プラスアルファの妻の無収入期間にできた借金。
    子育てへの不安、産まれてくる我が子への影響は…等々
    久しぶりに考え過ぎて眠れなくなっています。
    この病気と付き合いながらも、出産、育児をされている方はたくさんいるのに、今は不安でしかたない状況です。

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    1. 症状悪化と回復のV字の落差が大きいことも、この疾患のひとつの特徴ですね。
      加えて、ご夫婦の間に子供が生まれるかもしれないことは大変喜ばしいことです、おめでとうございます。
      とは言え、抗精神病薬が胎盤を通過することのリスクや統合失調症の遺伝性、また、子育てに費やす精神的エネルギーの増加による再発の心配・・・考えればキリが無いほど不安は高まるものだと思います。
      人間ですから、つい、ネガティブな視点でばかり未来を考えてしまうのは誰にでも共通することなのでしょう。

      統合失調症だから子供はあきらめる。
      統合失調症でも子育てできる。

      せめぎ合う二つの視点は簡単に融合するものではないと思います。
      ただ、どちらの選択も・・・灰色の雨にずぶ濡れになるようなV字の底を経験された匿名様なら大丈夫です。
      患者家族として、この世の終わりと感じるほどの病勢に打ち負かされた経験は、未来の問題に対峙するパワーではないでしょうか。

      もちろん、単なる精神論だけで解決できる問題ではありませんが、過去も現在も未来も、常に精神疾患を第一視点として生きなければならない理由は誰にもありません。

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  5. 児童精神科看護師です。突然の書き込み失礼します。
    身体拘束の必要性は看護師が判断するものではありません。しかし、当病院は看護師が必要であると看護記録として残すことが業務として決められています。また、誤った解釈で身体拘束されてる患者がいるのも事実です。
    家族の方はどのような気持ちでおられるのでしょう。
    一度聞いてみたいですが、上の圧力に負けてしまい、違法に加担してると認識しながら勤務するのも精神的に参ってしまいそうです。
    患者さんも一人の人格者です。どうか不当な拘束や隔離がなくなってほしいと願います。

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    1. 看護師も病院組織の一員です。業務遂行の観点からも、私情うんぬんは表に出せないと思います。
      円滑で安全な病棟運営の観点からだってそうです。
      ひとりの患者よりも病棟全体の秩序が、患者全体の良好な治療環境にリンクするはずです。

      病床に対する看護や医療の絶対量も、おそらく最低ラインが法的ラインだと思います。

      結論のない問題だと思います、いえ……結論を出せない問題であり、医療側、患者側、家族側、視点を変えれば結論は3通りあって、3つともが正解であり、けれどそれらは交わることが少ない。
      そんな気がします。

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