精神科の診察特性
遺伝子研究や脳波に脳画像……。統合失調症の研究が進み続けていることを知らないわけではない。だが実際のところ、精神科での診察とは精神科医の観察によってなされ、治療の標準は薬物療法ありき。これが精神科医療を受ける側の現実と印象ではないだろうか。
〝精神の苦しみ〟は、わずか1300グラムほどの脳の中に起きているにもかかわらず、画像で視覚化されたり機器を用いた計測データから納得と理解を得るような手段もなく、たとえば、統合失調症患者の身に起こる〝幻聴〟が先端機器によって〝音声〟として出力されることなどあり得ない話。
精神科医の見立てを軸に判定される統合失調症ないし精神疾患群だからこそ、精神科医による精度の高い観察と患者や家族から得られる症状の情報が診断の核となるのではあるが……。
それらには、しばしば差違が生じることもある。
治療者の違いによる医療格差。
治療者の違いによる処方内容の大差。
治療者の違いによる診断名の相違。
結果、治療者の違いによって患者の人生は右にも左にも向きを変える。
それなら、精神疾患の当事者や家族にとって治療が成功するかどうかはどんな精神科医と出会うことができるか? と、つい他責的な考えに陥ってしまうのも無理はない。
また、精神科医の見立てには治療者としての技量や経験に加え、患者からの訴えや家族からの意見が有用な情報として診察材料となるべきだ。
統合失調症である場合、情報の中身は痛みや苦しみといった身体的苦痛ではなく生活上の問題行動により社会生活が機能していないことを指す場合も多く、限定的な診察の場面における患者と家族が抱える問題と事実は見えにくい。
さらに、治療者の見立てが事実に一致しない場合や、患者の主訴と家族の説明に相違がある場合も考えられよう。
つまり、こんなケース。
――病的体験が原因となる粗暴な態度は身近に暮らす家人に向けられることが多いが、家庭生活では徹底的に家人を罵倒する状態の患者が、診察室という空間で精神科医という第三者を前にしてスッといつものような粗暴さが限定的に消失してしまう場合……。
このようなとき、家族のもらす事実ははたして事実として治療者に伝わるのだろうか? もし、治療者が診察室でとらえた事実が家族の陳情をないがしろにした、患者の〝よそいき〟の態度だけで形成されたものであれば、事実としての病状に適切な治療方針が定められずに対応と処方内容は不適切なものとなり、症状が和らぐどころか家族の抱えた生活問題も軽減しない。
その結果、ひいては患者の人生、そして家族の人生の方向さえ変えてしまうだろう。
事実として伝わらない
ふとこのような思いが巡るとき、Bさん(仮名)からブログに寄せられたメールの内容が重なった。――Bさんの母親は、統合失調症を発症してから30年になる。
母親の発症後、徘徊や自傷行為・周囲への被害妄想はひとつ屋根の下で暮らす家族にも強い混乱と疲労を与え、日常生活には荒れた局面も頻発したが、それなりに山場を越えてきた。
きっと、メール本文には現れてはこない修羅場もあったはずだと思う。誰のせいでもないが、家族はそれぞれの立場で辛酸をなめる人生をすごしてきたのではないだろうか。それでも、親には愛情をもって育ててもらったとBさんは振り返る。
――時は流れ、Bさん自身も母親となった。
現在、Bさんの母親は治療にはつながっているものの、夫の労災事故や娘であるBさんの結婚や出産などライフイベントのたびに状態憎悪を繰り返し、ここ最近は被害妄想がひどく、夫に浮気をされた……害を加えようとする何者かに対応するために玄関にバリケードを築くなどの問題行動が家族を苦しめている状態である。
そうして、一人娘でもあるBさんは子育てに追われながらも母親を今以上に適切な治療につなげたいと心労を重ねている。
悪条件は重なってしまうもので、労災事故により身体能力に問題を背負ってしまった夫に精神疾患の妻の介護は困難でもあり、Bさんが一人娘である以上、現実的に母親のことで協力してくれる〝身内〟もいない。
こんな環境条件に母親の病状増悪と子育ての苦労が重なり、Bさんは極度に疲弊してしまった。
そうは言うものの、Bさんの母親が適切な医療とつながっていれば状況はかなり変わってくるだろう。それは病状に応じた薬物療法と状態に応じた入院加療の検討であり、誰よりもBさんがそうなることを望んでいる。
事態がそのような方向に流れてゆくのなら、Bさんの精神的体力的負担は激減し、Bさんにとって今もっとも重要な子育てに専念することもできるだろう。
ところが、Bさんの母親が現状に適した治療を受けられる見込みは今のところない。
なぜなら、病状と問題行動の事実が主治医に伝わっていないからだ。
――病識の欠如によって今の病状に適した治療を否定するとともに、被害妄想が高ぶる母親。
しかし、日常生活にあふれかえる問題行動は主治医をはぐらかすかのように診察室では影を潜める。したがって、主治医には入院の必要性が伝わらない。
それどころか、Bさんが伝えようとする事実は主治医には愚痴と判断されてしまい、母親のよそいきの態度は事実として判断される。
診察室にて「毎日を前向きにがんばっている」と主治医にほのめかす母親の発言は主治医にとっては真実であり、家族の主張に耳を傾ける素振りさえない結果、状態を見合わせながら薬が再調整されるようなこともなく、無論、入院など主治医にとっては圏外のお話……。
母親の精神に宿る病魔にとっては、この主治医、とても相性が良い人なのだろう。が、当然のことながらBさんには納得できることではない。
このことを行政の福祉機関に相談しても対応は今ひとつぱっとしない……。つまり、傾聴レベルで相談が進行する程度だった。
それでも、家族以外で母親に関係するヘルパーなどの第三者の意見が、なんとか主治医に伝わる機会が得られた。
ようやく服薬内容を変更しようと試みた主治医ではあったが「30年来のつきあいなのに先生まで私を病人扱いするのか?」との母親の主張に薬の調整はストップされた。
もちろん、患者が拒否する以上は治療者としてどうすることもできないのはよくわかる。だからこそ入院という選択肢があるのだろうし、入院は決して隔離拘禁的なものではなくて、日々単位の細かな薬剤調整と刺激のない静養環境が得られるものでもある。
Bさんからのメールは主治医の交代や転院など具体的な方策に思案を巡らしているというところで閉じられていたが、治療者以上に事実を知る家族として、躊躇なく振る舞っていただきたいと感じた。
妄想を利用するという方法
いずれにせよ〝入院してきっちりと治療に専念してほしい〟という本音を強く感じたメール。本音はそこにあっても、言い方とやり方によっては患者との人間関係に深い爪痕が残る場合も考えられる。入院につなげる方法には強制的、非自発的など〝力〟で入院させるケースもあるのは事実だが、妄想をうまく利用するという方法もある。
たとえば、他者からの攻撃を防ぐために玄関にバリケードを築く代替え策として、病院に一時避難してみてはどうかと提案する方法。
切にお願いするスタンスではなく提案してみるという感覚表現が患者に伝わる感じがポイントである。
もちろんうまくいけばの話ではあるが、病的体験を真っ向から否定しつつ治療を押しつけるようなスタンスではなく、むしろ被害妄想に包まれた患者の世界観の中でやりとりするスタンスは家族には不自然でも患者には自然な流れとして同調しやすい。
これには一時避難のタイミングにあわせて入棟できるような段取りを進めておく作業が必要となると共に、病院側の協力も不可欠だ。
事実は愚痴ではない
さて、患者家族として治療者に望むことはなんだろう?ひとつ言えることは〝公平にわかろうとしてくれる〟ことではないだろうか。
精神科医は人生相談の相手でもなく、家族間のトラブルを仲裁する役柄でもない。とは言え、一見すると愚痴や無駄話のような発言の中に、病的事実が潜んでいる場合もある。
治療者は患者を診るのであって家族を看るのではないだろう。だが、患者を見る以上に病像を診ることが求められるのだと思う。
そして、病像とは事実そのものである。
事実が愚痴ではなく伝わるためには、わかろうとしてくれる受け皿がなければならないのだ。
とりわけ、統合失調症などの現実検討能力に障害を生じてしまう病像に対して、患者がそう言うなら仕方がないと結論づけることはさじを投げるも同然であり、患者と家族の人生をも大きく変えてしまう。
もっとも、患者や家族の人生は治療者とは関係のないものだと言われてしまえばそれまでだが……。
人は言う。「親のことも心配だろうが、小さな子を持つ母親として子育てを優先し、親のことは病院に任せておいて……」と。だがしかし、我が親と我が子に愛情を切り分けられるほど人は器用でもないからこそ疲弊していくのだ。
これが親子ではなく配偶者だった場合にも、人は言う。「離婚してあなたの人生を大切にする方が良い」と。
だがしかし、病魔に操られるようにして相手を罵倒する形相の向こう側に、出会った頃の素敵な笑顔が見え隠れする苦しさは他人にはわからない。
ギリギリの心情に包まれながら、全てを投げ出してしまわないことだけを胸に刻む家族。その心中に愚痴をばらまく余裕などありはしない。
統合失調症の夫がいます。
返信削除最後の文、本当に今の気持ちそのものです。
今年始め、殴る蹴るから一歩進んで首を絞められ警察と行政に相談しましたが、結局空床なく主人は家に帰ってきました。私と子供にしか向かない攻撃性…。病気なのかそうでないのか分からないまま、今もまた爆発しないか恐々生活しています。
本人の人権も大切。でも家族の心休まる権利も与えてほしい。病院より敷居の低いもっと簡単に入所できるような場所があればいいのにといつも思います。先生に家族のしんどさはどうしたら伝えられるのでしょうか…。
一刻も早く集中的な治療につながれることを望みます。〝病気なのかそうでないのか〟それは、治療が経過した後に結果としてわかってくることだと思います。〝私と子供にしか向かない攻撃性〟それは裏返せば他人には従順であったりすることが想像できます。つまり他人である医療者には従順イコール治療に専念できるイコール完全な服薬が期待できる。という〝絵が描ける〟かもしれません。
削除〝どうしたら伝えられるか〟ですが、伝わらない相手には伝わらない場合もあるやもしれません。相手(医師)には失礼ですが……。つまり、伝わる相手を探すことも検討すべきかと思います。
――補足ですが、医療者は根本的に合理主義ですから〝言い分〟ではなく〝事実〟に対して方策を検討します。
つまり、伝えることは〝事実〟です。
では、事実をどう伝えるか?
これは一例であり是非の判断は人それぞれですが、録音あるいは録画という方法も考えられます。ただし、是非の判断は人それぞれです。
岩崎様
削除先日はありがとうございました。Bです。
ありがたかったです。主治医ですら話を聞いてくれない状況で本当にありがたかったです。
なかなか返信できず、すみませんでした。
現在父は介護施設に身を寄せ、母は1人で暮らしていますが
誰かがいたり、常に電話をして確認したり励まさないと
食事や入浴をできなくなってしまいました。
私の仕事のを応援したいのもあり(化粧品販売業)あれだけ
毎日お肌の手入れをし、きちんとお化粧していた母は今は
顔も洗えず、室内でもサングラスやら帽子やら身に付けています。
物忘れもひどく、毎日あれがないこれがないと熊のように
うろうろしています。
大事なものもなくしてしまい、これがどこにしまい込むのか本当に
見つからないんです。
そうです、うつ状態になってしまったんです。
薬を変えたせいなのか、もうあんなに興奮していたから疲れたのかわかりませんが、
メインで母の生活を支える叔母と私は常に心配で。
一緒に買い物に連れていき、後ろ姿を見ていると、こんな母に誰がしたんだろう、と
自責の念もこみあげますし、医師に対しても残念でなりません。
それでも、入院の必要はないと医師は言います。
その病院は軽度の患者なら内科病棟に入院できるので
叔母が頼んだところ、本人が望むのならどうぞと。
母がこれまでの経験から入院を絶対望まないのを知っていてです。
でも、夜中に徘徊などをして行方知れずになったりすることがあれば
私の責任ですので(できません、困ります)。と付け加え。
入院が必要でない軽度の患者じゃじゃないんじゃないの、認めたね、と思いました。
ただどうしても主治医は自分が入院させる、他の病院を紹介するのは
いやなんですね。
よくわかりました。
家族からの要請であなたを病院に入れるんですよ、という免罪符的なものが欲しいんです。
その方法で、患者と家族にメリットがあるのでしょうか?
もしそうならそうします。けど、まったくそうは思えない。
母は毎日家にいるのが怖くて(物が無くなるし、物音がするし)と
言っています。
家族からお願いするのは時間の問題となるでしょう。
たくさんの問題があります。
とりあえずのゴールは入院。
現在の病院か、どうだかはまた親族会議ですが。
これをきっかけに主治医をかえてあげられる、くらいしか良いことが
浮かびませんが、これを目標にしています。
また報告させてください。
「家族からの要請であなたを病院に入れるんですよ、という免罪符的なものが欲しいんです」とBさんが受け止めてしまう心情はよくわかります。とかく逃げ口上を重ねながら責任問題、面倒な家族問題には関与しないことだけを意識する医師も多いですね。
削除かといって、院長に直談判すると〝医療主導で家族に助言と介入を行うのが医師としての仕事です〟と、美辞麗句を並べ立てられたエピソードは私にもあります。
医療者を変えても医療機関を変えても生活環境を変えても、何も変わらない場合もあれば、今までのことが嘘だったように全てが変わってしまう場合もあります。
……どうか、お母様がお孫さんに笑顔を向けられる日が来ますことを私も祈っております。
岩崎様
削除アドバイスありがとうございます。
我が家は義両親が入院に否定的なため、保護入院させるのもその後の騒動を考えると、とても気力がわきません。(前回の入院も子どもにナイフを投げるなど危険行為が見られたので本人を半年かけて説得したのに、土壇場で義両親が精神病院に入院なんてと言い出し、先生が説得しました)
録音まではなかなか難しいですが、継続して何とか先生に家族の危機感が伝わるように陽性症状を記録していきたいと思います。
いつか我が家にも笑顔で優しい時間が流れることを願って、何とか諦めずに病気と向き合います。
ペンギン様
削除世代が高くなると分裂病的な認知が高くなりがちですが、それもしかたのないことですね。
ですが、ご主人と同じ人生を生きるのは親ではなくペンギン様だと思うので、どうぞ自信をもって行動してくださいね。